今から1300年ほど昔に、武蔵国の中央部を南北に通じる直線的な道が存在していました。この道は国家権力の支配体制の下で計画的に建設された古代の高速道路とも言える役割を持った道でした。

中世の鎌倉街道上道の幹線路は、古代の道を踏襲したものと考えられています。古の昔から、主要な街道が通っていた道筋沿いには人々の生活の営みが繰りかえされていたものと思われます。その生活の営みを繰り返す土地から他の土地へと通う道が発生し、そのような道は新たな時代へも受け継がれてきたことでしょう。様々な交通網が発達した現代では、昔ながらの人が住みやすい土地の条件も変化してきていることは確かですが、基本となる道と街の地理的な関係は今でも昔ながらのものなのです。
鎌倉街道を調べていくとその前身である古代の道についても考えざるおえなくなるのです。「道」をめざす者として、鎌倉街道以前の道である古代の道をテーマとした「番外編・東山道武蔵路」を作成するに至りました。
[東山道武蔵路」とは何か。現在のところまでわかっている古代の道の資料を参考にご案内させて頂きます。

古代の道について
飛鳥時代から平安時代中頃までの古代の道について、その特徴と交通制度などを見ていきます。
武蔵国分寺と東山道武蔵路
東京都国分寺市で発掘された340メートルに及ぶ東山道武蔵路の遺構と武蔵国分寺及び付近の鎌倉街道を見ていきます。
東山道武蔵路のルート
東山道武蔵路はどこからどこを通り、どこまで繋がっていたのか、その道筋を辿って見ます。


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