天園ハイキングコース-鷲峰山・・その2

右の写真はここまで来た道を振り返って撮影したものです。この辺りで道を振り返った感じは私自身のお気に入りの景観です。写真の右手は道の土手のようにも見えます。この土手のようなところに上がり谷の裏側を見下ろせば覚園寺境内地が見られます。

大倉薬師堂と覚園寺
覚園寺は建保6年(1218)に北条義時が建てた大倉薬師堂を永仁4年(1296)に北条貞時が二度の蒙古襲来後に覚園寺と改めたと伝えられています。

伝説によると将軍源実朝が暗殺される前の年(建保6年)に執権北条義時はある夜に夢を見たといいます。戌神が枕元に現れ、「今年の神拝は、無事に終れり。されど明年拝賀の日には、汝、将軍家の供するなかれ」。義時は目が覚めると戌ノ刻であったいい、その不思議な一致から自館の戌の方向に薬師堂を建てることにしたというのです。(戌神は薬師如来の十二神将のひとつです)しかし弟の時房や嫡男の泰時は造営費などを理由に反対しますが、義時は諦めずに工事に着手して薬師堂を建てたといいます。

左の写真はハイキングコース途中にある道脇の五輪塔です。

建立された薬師堂は義時の持仏堂的なものでありました。その翌年の建保7年正月に将軍実朝の暗殺事件が起こります。この事件の時に薬師堂の十二神将の戌神が堂より消えたとかの伝説があります。また実朝が殺害された時刻は戌ノ刻であったともいいます。覚園寺の前身の大倉薬師堂とは、これら戌神にまつわる不思議な伝説があったのでした。現在の覚園寺は文化財が多くあり鎌倉中の寺院としては静寂に満ちた聖域を保っているところなのです。

五輪塔を過ぎた辺りの道の雰囲気はとても素晴らしいところです。鎌倉の山稜部には七口の切通し以外にも見どころは沢山あるんだと改めて実感できるところです。この道は普通のハイキングコースではなく、歴史の奥深さがしみじみと伝わってくるものがある道です。土塁状に囲まれた道は右に曲がり、今度は左に曲がって坂をゆるやかに上って行きます。木漏れ日というものの優しさ、美しさがひときわ感じられる初冬のひとときです。

覚園寺前からここまでのハイキングコースは古道である可能性は高いと思われます。おそらくこの上にある「百八やぐら群」までは参詣路としての古道に間違いないものと思われます。問題はやぐら群の先、鎌倉の外へと続く街道なのかということです。道幅はそんなに広くはありませんが、切通しが幾つか見られ、道脇の土塁状の高まりなどからみて、通行量はそれなりにあった道だと思えるのです。「何、この道が鎌倉の外と繋がる街道だって、そんなわけあるか。」とお叱りを受けるかも知れませんが、想像したり仮説をたてたりすることも大事なことであり、また楽しみでもあるのです。

五輪塔を過ぎた辺りのハイキングコース

ハイキングコースが右に曲がり、その先で今度は左に曲がったところは尾根をまたぐところで、ここには例のごとく切通しが造られていました。下の写真がその切通しで、右の写真は切通し壁に造られているやぐらです。やぐらの中には五輪塔が幾つも並んでいるのが見られます。苔むしたやぐらの岩やシダの葉はこの世の儚さを訴えているかのようです。「現代人は何をそんなに急いでいるのか。人間いすれは死ぬ。死んでしまえば身分も貧富も何もない。ご覧のとおりさ。」やぐらの主のそんな声が聞こえてきそうな光景です。

鎌倉の山道を歩いていると、尾根をまたぐところには必ずといっていいくらいに切通しが造られています。鎌倉の岩が削りやすいということもありましょうが、このように古い時代の地形改造がいたるところに見られるのは、関東広しと言えどもここ鎌倉だけなのではないのでしょうか。鎌倉の周りの山の全てを歴史遺産として、現在のこのままの姿で後世へ残したいものです。

人はよく道に迷ったときや、道につまずいたりしたときに、我を振り返り本当の自分はどこにあるのかと、いわゆる自分探しというものを始めたりするものです。しかしホームページの作者が思うには、本当の自分などというものは探して簡単に見つかるものとは思ってはいません。もしかりに自分を見つけられた人がいたとすれば悟りを得たと等しいほどのもので、自分探し自体、これは人間ひとりが一生掛かっても答えが出ることは無いかも知れません。現在の私にとっては鎌倉街道探索こそが自分探しそのものなのです。

「鎌倉街道探索が自分探しだって、何を戯けたことを言っているのか」と思われる方もいるかも知れませんね。笑いたい人はどうぞ笑ってやってください。個人的な意見で恐縮ですが、鎌倉街道とか中世古道とかが残っていないと探索ができないのでこれらを中世の遺跡としてより多く残してもらいたいものです。

さて、ハイキングコースも「百八やぐら群」へ近づいてきたようです。左の写真の右手の谷地一帯が百八やぐら群があるところになります。

右の写真はハイキングコースの路面岩が削られて凹状になっているところを撮影したものです。この道での通行量が多かったことを物語りますが、現在の路面から見て荷車が通れるような道ではなかったように思われます。写真のところをしばらく上ると、やがて右側の山斜面にやぐらが見えてきます。その先で尾根を上り切ったところは十字路になっていて、左に行くと十王岩を経て建長寺半僧坊や北鎌倉方面へ出られます。右に行くと鷲峰山から太平山を経て天園までの鎌倉アルプスのハイキングコースになります。そして真っ直ぐ北へ向かう道はそこから見えている今泉台の住宅地へ進む道で古道ではなくなっていました。

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