あるとき、「風」に出会った。そこには忘れかけていた何かを思い起こさせてくれるような「光」がきらめいていた。 そこに一つの「道」があった。何処へ続いているのかはわからないが、この「道」の行き先に何があるのだろうか。

そもそも「道」とは何であろうか。人が幾度も通るところが道となる。そう言ってしまえば簡単のようでもあるが、「道」それはまた「人の道」とか、「道を極める」とか、 地理的意味合い以外の言葉としても使われる。例えば「人の道」とは何かと言うのを、素人なりに考えて見ると、人としてどう生きるべきかというようなことを言っているのではないかと思える。 またこの言葉を別の視点から見れば、人類誕生から今までの過程とも受け取れる。ということはである。その過程とは「歴史」のことではないだろうか。まあそんな具合に私なりに考えて見た。 何れにせよ「道」とは一言では片付けられない、いろいろな意味が込められている物のようである。

「道」は人間が生活して行くには無くては成らない物である。人は「道」を通して移動し政治・経済・文化等を伝えていった。それは太古の昔から今まで続けられてきたが、現在新たな技術革新によって情報の伝達は道を必要としなく成った。そのことによって「道」本来の役割が変わるとは思えないが、 「道」にたいする人々の思いは変わりつつあるのではないだろうか。

過去の人々は「道」をどのように見てきたのであろうか。文明化以前の「道」は歩行移動が主体であったが、現在では道は主に乗り物が移動する空間として捉えられがちである。そのような移り変わりを批判するつもりは無い。むしろそれは自然な成り行きで、そこに問題があるようにみえるとすれば「道」や空間の造り方、利用の仕方ではないだろうか。

此処では「道」の旅に御案内いしたいと思う。それは失われ掛けている「道」、過ぎて行った「時」への旅である。