中世の関東平野には「上道」「中道」「下道」と称する鎌倉街道の三つの幹線路が存在したことは知られています。これら三つの路線から外れた房総半島中央部にも鎌倉街道と伝えられてきた道が残されています。この道は「鎌倉街道上総道」などとも呼ばれ、また一説には古代からの道ではないかとも考えられているようです。鎌倉街道の特徴である丘陵台地上を通る道であり、又行政境界線上を直線的に進むこの道は、関東各地に残る鎌倉街道の性格を十分に備えた道なのであります。

近年、館山自動車道建設に伴う遺跡調査として袖ヶ浦市の山谷遺跡から中世の道路遺構及び市跡あるいは宿跡と思われる遺構が検出され中世歴史学の注目を浴びています。

関東各地の鎌倉街道を尋ねまわっているホームページの作者は何を隠そう千葉県出身者であり千葉県内に残る鎌倉街道を以前から見ておきたいと思っていました。昨年(2002年)の秋に千葉県へ出掛けその帰路で上総国分尼寺跡展示館に立ち寄りました。そこで手にした資料に上総の鎌倉街道のことが書かれていました。

そして翌月に袖ヶ浦市郷土博物館で鎌倉街道の講演会があり出掛けて参りました。その後も何度か足を向けて資料・写真等がそろってきましたのでここに「西上総の鎌倉街道散策」と称してまとめることにしました。

考えてみれば房総は源頼朝が鎌倉政権樹立に伴うにあたて極めて重要な役割を果たした土地であったわけです。鎌倉街道を語る上では忘れてはならない地域だと思うのです。

鎌倉街道と同時に古代の上総国は古墳や遺跡が数多く残るところでもあり特別に上総国分寺と国分尼寺のページを設けましたのでお立ち寄りください。

養老川や小櫃川の田園風景は日本の「ふるさと」のような印象を与えてくれます。今この田園風景も現代風の景観と変わりつつあようです。


西上総の鎌倉街道地図
木更津市中烏田示道標の地図
上総の鎌倉街道研究の発端となった木更津市の道標
上総の鎌倉街道を先駆けて紹介した郷土研究家の小熊吉蔵氏の研究書を見てみたいと思います。地名から鎌倉街道のルートを発見した経緯や東京湾からの『渡海面』の意味、古代道と大街道の関係など。
鎌倉街道、下新田・立野ルート
西上総の代表的な鎌倉街道のルートを西から東へとご案内します。ルート上には源頼朝に関連した伝承が多く残されています。近年に発掘調査が行われた「山谷遺跡」では現在の道の下から中世の道路遺構が発見されています。
鎌倉街道、立野・姉ヶ崎ルート
上総国分寺跡と国分尼寺跡(発掘された古代道と国府につて)
上総の鎌倉街道を語るにあたって、やはり古代の国府や国分寺との拘わりが問われるものがあるようです。同時に国分寺近辺で発掘された古代道などについてもふれてみたいと思います。

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