2008年6月 トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ ライブ観戦ツアーレポート
14th June 2008 :1日目 成田 〜 デラウェア州 ウィルミントン
旅の始まり 〜 成田 〜 ニューアーク・リバティ・インターナショナル・エアポート(長い) 〜 アムトラック 〜
雨は降る 電車は来ない 〜 ウィルミントン
2007年は音楽的に充実した年だった。ウィルベリーズの再発は言うに及ばず、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズのドキュメンタリー映画 “Runnin’
down a dream” は、彼ら以外の音楽を聴く機会を奪うほどの、素晴しい作品だった。
この作品がもたらしたテンションは、1月にアナウンスされた夏のツアーに、私を参戦させるに十分だった。アメリカに住む友人を訪ねるのも兼ねて、ニューヨークとニューアークの席を取った。移動に煩わされないように、コンサート会場そばのホテルも、抜かりなく予約する。
かくして、準備完了。6月14日土曜日、バスで成田空港に向かう。なぜ東名から首都高三号線を経由せず、わざわざ都筑から第三京浜,ベイブリッジ,湾岸を使うのかは良く分からないし、帰国してからも謎のまま。
成田。旅の道づれRさんと合流。私よりはるかに旅慣れ、てきぱきと要領良く行動する、最高のHighway
Companion。
しかし、そんな心強い彼女との同行もコンチネンタル航空がアメリカに到着するまで。成田で3時間。飛行時間12時間あまり。現地時間14日土曜日午後5時。ニュージャージー州ニューアーク・リバティ国際空港に到着。
Rさんは隣町であるニューヨーク, マンハッタンへ。そして私は単身、友人の住むデラウェア州ウィルミントンへ向かう。
どこでも、空港からの交通手段というのはちょっとした問題だ。その点、このニューアークは悪くなかった。エア・トレインという無人交通システム(モノレールみたいなもの)が、各ターミナルと、最寄の鉄道駅であるニューアーク・リバティ・インターナショナル・エアポート・ステーション(長い)をつないでいる。
新しいシステムなので、エレベーター等の設備もきちんとしていて、利用者に優しい。行き先表示もアメリカにしては…まぁまぁか。そろそろ、日本の交通機関が非常に懇切丁寧な表示を心がけている事が分かってくる。
ニューアーク・リバティ・インターナショナル・エアポート・ステーション(長い)に到着すると、そこからは鉄道の駅にしか行けない。つまり、この駅は空港とエア・トレインの利用者しか使わないという、特殊な駅なのだ。空港の外の治安はあまり良くないと聞いていたが、ここは安全。
日本の旅行会社でアムトラックの予約をしていたので、チケット窓口で発券してもらい、駅係員の指示にしたがって4番線に降りる(Track 4)。ここまでは良かった。ここからが問題だった。
まだこんなに明るい
ナショナル・レイルロード・パッセンジャー・コーポレーション。通称アムトラック(Amtrak)。1971年に全米の民間鉄道会社が公共企業体となったものだが、この経緯を別にすれば日本でのJRをイメージすると分かり易い。
4番線に降りたったのは午後5時過ぎ。6時27分発,リージョナル135(ボストン発 / ワシントンDC行き)の到着時刻までは、だいぶ余裕がある。何やらひどく頼りない入線案内表示も間違いないので、トランクの上に座ってひたすら待つ。売店の一つもないのだ。カフェなんてとんでもない。待合室はあるが、クーラーがきつい上に、臭い。
頼りない入線案内表示。肝心の時刻表示が欠けてるじゃん。
時と共に、同じくリージョナル135に乗るらしき人々が4番線に集まってきた。その間も、同じ駅舎とホームを使っているニュージャージー・トランジット(NJT。日本のJR,私鉄とは違い、アムトラックとNJTが同じ施設を使うのだ)、の北行き(NY方向),南行き(DC方向)は、ひっきりなしに発着している。
緯度も高いので、まだまだ明るい。6時27分。時間だ。電車は来ない。
…来ない?!
ホームには情報掲示もなければ、放送もない。階段をあがって駅舎の係に訊きたいが、その間に電車が来ては困るので動けない。同じ電車を待つ人々も時計を気にしながら、キョロキョロし始める。しかも、例の頼りない案内表示が、さっさと次の電車(8時半)に切り替わる。そんなバカな。
やがて、モバイルで情報キャッチしたおじさんが、みんなに「1時間半遅れてるよ」と告知してくれる。一同、「なんだよ〜」と言いつつ、また待つことにする。しばらくしてからも、私よりだいぶ若そうな女の子が、私のチケットを覗き込み、「遅れてるよ」と親切に教えてくれた。
成田で借りた携帯電話が大活躍。ウィルミントンで待つ友人に連絡。
相変わらずトランクに座り込んでいると、次第にひもじくなっていく。マシュー・カスバートを待つアン・シャーリーの気分。
機内食でとっておいたビスケットをかじって、再び待つ。しばらくすると、一転空が掻き曇り、雷光とともに大豪雨がやってきた。
こんなに暗くなっちゃった。
豪雨が!
たまらず、待合室に避難してしばらくすると、やっとリージョナル135が入線してきた。
車体に号数も行き先の表示もないので不安になるが、同じチケットを持っているひとが続々と乗り込むので、大丈夫だろうと判断する。7時55分。本当に1時間半の遅れだった。
車内はほぼ満員。スーツケースをキープしておける車両の両端は当然うまっている。スーツケースを引きずってひたすら席を探し。
「席がないよ〜」と泣きそうな私を、一時間半の待ちぼうけを共に耐えた仲間が、「頑張れ、食堂車の向こうにもあるはずだ!」と励ましてくれる。やがて、私の前を歩いていた女の子が「ここ、空いてるよ」と譲ってくれた。
席にスーツケースと共に体を押し込む。小柄だったから出来た芸当。
アムトラックの外見はかなりボロい。内側はそれほどでもないが、新幹線とはくらべるべくもない。
窓の外を見ると真っ暗で何も見えないが、間違った電車には乗っていないようだ。車内放送では、しきりと遅れを詫びていた。それは良いのだが、なぜ駅で何もアナウンスがないのか。困ったものだ。
1時間ほどでフィラデルフィアに到着。さらに20分で、全米で2番目に小さな州,デラウェア州の街,ウィルミントンに到着した。9時20分。ホームから間違った階段を降りて寂しい外に出てしまう。
やばい。
かなり怖い感じで慌てて駅に戻る。メイン・ロビーで携帯を使い、迎えに来た友人Mの顔を見た時は心底ほっとした。
彼女によると、アムトラックでこの程度の遅れは日常茶飯事とのこと。日本の鉄道もしょっちゅう遅れるが、その後の対応や情報提供の細やかさに差があるのだろう。
ウィルミントンは巨大な化学メーカーの本拠地であり、金融機関の本社も多い。しかし、駅周辺のダウンタウンは明らかに治安が悪い。
この町を仕事で訪れる人々はみな、フィラデルフィアからタクシーを使う。
車で一路郊外へ。アップタウンの閑静な住宅街に入り、やがて森の中にある友人Mの自宅へ到着。すでに時刻は夜10時に近くなっていた。自宅を出て24時間。長い一日の末に、やっとベッドでの睡眠にありついた。
→ 15th June 2008 :2日目 ウィルミントン 〜 ペンシルベニア州ランカスター
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