仏道特別道場・草枕まほろばまほろば・プロローグ 

 まほろば ・ ・ ・

    プロローグ

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 トップページHot SpotMenu最新のアップロード    担当: 高杉 光一 ( 2000.1.19/開始 )

 

 詩・ま ほ ろ ば   

                                              文芸詩集 /No.2  より抜粋

   

                                     “ まほろば ” とは、すぐれたよい所/国   というほどの意味です。

 

 波動関数から生れるのは、“物質”のみです

    しかし、そこに観測する者の“意識”が介入.....

       観測者は参与者に変じ、ストーリイが発現します

 

 さあ、“人間原理空間”が動き出します

    間断なく、壮大な宇宙の夢が溢れ出します

       夢は空間を透過し、時間を突き抜け、

          夢が夢を経歴し、“心”が結晶化します

 

 まほろばの真実の結晶世界.....

    何処からか、歌が聞こえてくる.....

       いずこにか、風が感じられる.....

           さて...歌っているのは、誰か.....

            風を感じているのは、誰なのか.....

               そして、“我”は何者なのか.....

 

 この世界は“唯心”、ただ一つの心.....

    ただ一つの心が映し出す、幾千億の夢、夢、夢.....

       その夢が問う、

          “今”、ここに現前している風景は、何者かと.....

                そは、唯心、真実の結晶世界.....

                  そは、 “我”の姿なり..... 

 

 

 

  プロローグ                

 

    2000年がスタートしました。特別道場・草枕も、第2ステージへ移行します。た

だし、第2ステージ“まほろば”は、第1ステージ“無門関峠の道場”の延長線上に

設定していきます。したがって、修行としては、常に第1ステージの基本に立ち返る

ことになります。

  さて、禅には“無門関”のような公案集というものがあります。こうした公案集は、

同じ1つの真理を、それぞれ別の角度から参究しています。したがって、多少の温

度差はありますが、一度“無門の関”を通り抜ければ、全ての公案に通じます。無

門禅師も“無門関”の冒頭で、こう言っておられます。

 

            無門の自序

大道無門

千差路あり

この関を透得( とうとく )せば

乾坤( けんこん=宇宙 )に独歩せん

 

 ここで無門禅師のいわれる“大道”とは、禅の真髄のことです。つまり、こ

の禅の真髄に至る道は“無門”、すなわち門が無く、それこそ無数の路が

あるということです。これは裏返せばいたる所が路であり、各自のまさに眼

前に、真理が開けているではないかということです。

 

  このような公案集と同じょうに、この特別道場・草枕においても、同じ1つの真理

を繰り返し別の角度から考察して行くことになります。しかし、修行が深まって行く

につれ、同じ言葉の意味が、無限とも思える深さにまで沈んでいくことを知るように

なります。

  いったい道元禅師の御心とは、どのようなものだったのでしょうか...また、釈

尊の御心とは、どのようなものだったのでしょうか...俗世間の未熟者ではありま

すが、ともかく私も真剣に取り組んでいます。どうぞ、ご期待ください。

 

 

修行においては、次の言葉を常に心にとめておいてください

 

   (1) 見るものと見られるものは、同じ一つのものであるということ...

(2) リアリティーには、切れ目や境界がないということ...

(3) 阿頼耶識にある“自我”を捨て、“無我”に生きること...

 

  これらの言葉の意味する所は、第1ステージ“無門関峠の道場”で詳しく解説してき

たものです。まだ他にも強調したい言葉は色々とあります。しかし、修行が進めば、現

在ごく単純に理解しているこうした言葉も、さまざまな角度からその深さを知るようにな

ります。