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 自転車をその辺りに置こうとすると、おばちゃんに大きな声で怒られた。駐輪所にお金を払って置いておけ、というのだ。見るとロープが張られた広いスペースに、自転車が整然と並んでいる。五角払って自転車を置くと、足を引きずるように宿のカウンターへ向かった。

 雲中大酒店というそのホテルは、中国でも珍しくなくなってきた民営のホテルだった。ちょうど別館が新しく建ったところだそうで、支配人の雲さんその人が先頭に立ち、まだ工事の後の掃除や片付けをしている中、部屋へと案内してくれた。従業員も数人ついてきて、なんだかV.I.P.のような待遇だ。

 案内された部屋はスウィートルーム風で、二部屋に別れた立派なところだった。値切ったのにもかかわらずこんな部屋があてがわれるのか? と感心していると、雲さんが一言。

 「いい部屋でしょう。自慢の部屋なんです」

 なんだ、自慢か。いい部屋なのは承知したから、頼む、チェックインさせてくれ。我々はふらふらなんだ。

 折角の自慢話をどうやらこの二人は上の空で聞いているようだ、と気付いた雲さんは、一方的にしゃべっていた話しを切り上げて移動を始めた。我々の部屋に案内してくれる気になったようだ。いい部屋を見せれば、身なりはみすぼらしいが一応は金持ちの日本人のことだ、「ここに泊めてくれ」と言い出すだろう....と、今思えば多少の期待をされていたのかも知れない。だが、我々は早く荷物を置いて汗を流して横になりたい、それだけしか考えていなかったのだった。

 ようやく部屋に辿り着き、フロアの共同シャワーで水浴びを済ませると、私たちは夜まで死んだように眠った。本来なら今、次の目的地への切符を手配しておかないといけないのだが、そんな体力は全く残ってなかったのである。

 こうして私たちの150キロは、泥眠と共に終わりを告げたのだった。







 翌日ふと気が付くと、デパートの駐輪所に置いた私たちの自転車は二台とも消えてなくなっていた。自転車のような高額で大事なものを、駐輪所に一晩放置しておくというのはこの地の人にとって信じられないことなのだろうか。包頭の「出租」自転車ということも、よく見れば車体に書かれた印と番号でわかるため、怪しまれたのだろうか。とにかく、私たちと苦楽を共にした「飛鴿牌」の自転車はなくなってしまった。西野はもう見るのもイヤだったそうだが、私は見るくらいなら良かったのだが。


 翌九六年の夏、懲りずにもう一度中国を走った。遼寧省の瀋陽−撫順間、今度は控え目な50キロだ。

 昼から走り出して日暮れ過ぎには炭鉱の町、撫順に到着。宿の前に自転車を置いて歩きだしたら、タクシーの運ちゃんが声をかけてきた。

「どこまで行く? 安くしとくぞ」
「瀋陽から来たんだ」
「帰りは乗っていかないか?」
「自転車だ(自分の自転車を指差す)」

 あっけに取られた表情で後ろにいる仲間を振り向いた運ちゃん、「おい、聞いたか? あれで来たんだってよ、瀋陽から」

 どうやら50キロでも、自転車で移動する旅行者は珍しいようだ‥‥‥。

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