ちょっと気になる中世
ー中世のクリスマスは濃くてアヤシイー

(第五話)中世のクリスマスは濃くてアヤシイ

 中世のクリスマスって?

クリスマスをX'masと書くのはなぜか。

 キリストはギリシャ語でXPISTUSと書く(ギリシャ語のPはローマ字のRに対応する。ちなみにロシア語もそう)。Xはその頭文字である。教会の中庭などで、色分けされた花がXPという文字を綴っている風景を見たことはないだろうか。XPはギリシャ語で「キー・ロー」と読み、キリストの略である。masはやはりギリシャ語で聖祭を表す言葉だそうだ。ミサの語源かなとも思うが、確認する暇がないのでご容赦を。

クリスマスの起源は三世紀末とも四世紀とも言われている。

 三世紀末という説は、小アジア(今のトルコ)で270年に生まれたニコラオという司教が子どもの守護聖人で、子どもに贈り物をしていたということに起因している。彼はミラの司教であり、12月6日が司教ニコラオ(聖ニコラスともいう、オランダなまりでサンタクロースと発音する)の記念日で、その日に子どもに贈り物をする習慣ができたらしい。ちなみにニコラオが司教だったことから、サンタクロースが司教服になぞらえた赤い服を着るようになったが、この習慣ができたのは宗教改革の頃である。

 もうひとつの説は、354年に、ローマ教会によって12月25日をキリストの生誕日と決めて祝うようになったというが、本当にその日にキリストが生まれたというわけではない。農耕民族の間では冬至の日を祝う土着の信仰が根強かったので、それをキリストの生誕の日に置き換えて祝うことにしたのではないかといわれている。キリスト教はあちらこちらで布教されるうちに土着の信仰と融合しながら広まったので、今のようなクリスマスになるまでに地域柄と時代を反映したいろいろな形をとって変遷してきた。

 先に伸べた司教ニコラオの時代は、キリスト教が大迫害を被っていた。コンスタンティヌス帝がキリスト教を保護するようになったのは313年(彼がローマ帝国を単独統治する前)、共同統治していたリキニウスとの政策協定で、「キリスト教を公認してキリスト教徒を味方につけることを確認した」……これがミラノで行われたので「ミラノ勅令」と呼ばれている。しかしコンスタンティヌス自身は、守護神をヘラクレスとした時期があったり、臨終になってようやく洗礼を受けるなど、宗教に関して意外とアバウトだったようだ。

 司教ニコラオも迫害を受け拘置されていたが、コンスタンティヌスによって解放されたと言われている。

 こういう事情で、クリスマスの起源は三世紀末に既にあったが、堂々と祝えるようになったのは、キリスト教が公認された四世紀以降だったのではないかと私は思う。

 クリスマス・ツリーの起源はどうかというと、八世紀のドイツの布教者聖ボニファチウスが布教の地でカシワの木にオーディン神に捧げる人身御供の風習をなくすために、モミの木にキリストへのささげ物をつけることを教えたのが始まりだと言われている。大変美談である。が、異説によると、彼は異教徒の信仰の対象だったカシの木(雷神トールの神木ともいわれていた)を異教徒たちの目の前で切り倒し、彼らの信仰は無意味だと知らしめてキリスト教布教に成功したというエピソードもある。強引な話ではあるが、いずれにせよ、クリスマス・ツリーもやはり土着信仰とキリスト教とのからみで生まれたのが事実のようである。オーディン神もトール神も北欧の神である。

 だからというわけではないが、サンタクロースがトナカイの引くそりに乗ってやってきて煙突から入ってくるというのは、北欧伝説の名残だ。クリスマスとは、北欧を布教する宣教師たちの奮闘の蹟ともいえるかもしれない。

 ヒイラギの葉もクリスマスの重要なアイテムと言えるが、古代ローマ人が農神祭の祝祭日にヒイラギの飾りを使ったことに由来している。

 ところでツリーをオーナメントで飾る習慣は、宗教改革者ルターが始まりだった。改革派としてはカトリックの行事をそのまま受け入れるのに抵抗があるので、アレンジして継承することがあった。サンタクロースを好々爺の姿に変えたのも彼らである。

 中世のクリスマスでは、クリスマスカードを交換するということはなかった。中世ではごく限られた者(高位の貴族や聖職者)しか文字の読み書きができなかったから無理もないだろう。クリスマスカードを交換する風習は意外と歴史が浅い。19世紀にイギリスで始まったといわれている。

 さて、クリスマスといえば七面鳥だが、中世の人々はクリスマスだからといって七面鳥は食べなかった。というのも、七面鳥が北アメリカからヨーロッパに伝わったのがコロンブスの大陸発見以降の16世紀のことであるから。中世の人々の冬至の頃のごちそうは、鶏、鵞鳥や秋にどんぐりを食べさせて太らせた豚、狩りで射止めた猪などであろう。

 七面鳥とは無関係だが、トゥールの司教聖マルティンにまつわるエピソードでこんなのがある。彼はハンガリー軍の士官だったが、337年、彼の前にあらわれた半裸の物乞いに、マルティンは自分のマントを半分に切り、持っていたパンの半分と共に与えた。その物乞いがキリストだったらしい。マルティンはその後洗礼を受ける。この半分に切った外套(カペ)を聖遺物としてまつった場所を、カペラ転じてチャペルというようになった。ところで、彼は隠修士になりたかったので、トゥールの司教になるようにという命令が下った時、それを拒んで家禽の小屋に隠れていたのだが、鵞鳥が騒いだために見つかってしまった。それで聖マルティンの祝日11月11日には鵞鳥を食べるのだそうだ。クリスマス=七面鳥を連想させるエピソードではないだろうか。11月11日頃というのは、農耕暦としても、収穫が終わって年貢を納め、無事その年を乗り切るかどうかという一年の節目なので、それを祝うという意味もある。

 中世ではクリスマスは12日間続いた。つまり翌年の一月上旬まで続くのである。12という数字が大変重要で、ロウソクの数とか飾る枝とか……いろいろなところに12という数字があらわれる。十二使徒に由来するのだろうか。その辺のところは定かでないが、初期の修道院の戒律では、ひとつの修道院に修道士は12人までと決められていた(13という数字が裏切りを連想させるからだろう)こともあって、12へのこだわりがわかるような気もする。

 日本では年賀状というものがあって、正月とクリスマスとをはっきりと区別しているが、西欧ではクリスマスと新年は同じような感覚だ。クリスマスカードにはメリークリスマスのついでに新年の祝いの言葉も書かれる。中世でクリスマスが12日間続いたことを考えると、クリスマスと新年は同じようなものなのだろう。

 カトリック行事、改革派のアイディア、北欧伝説、農耕時暦、各地の聖者の伝説……などてんこもりのごたまぜのお祝い。それがクリスマスだ。なんて言ったら不謹慎でしょうか。そういうわけで。

  Merry Christmas and a Happy New Year!

                               (1997.12.18)