ちょっと気になる中世
ー中世の読書は高くてアヤシイー

(第二話)中世の読書は高くてアヤシイ

 読者の皆様は今、本を、つまりコバルトの8月号を読んでおられると思いますが──当然ですね──この「読書」というさりげない行為が、中世においてはとてつもなく高貴で特殊なことだったのです! 

 中世では書物は「羊の群」とも呼ばれていました。というのも、一枚の羊皮紙はなんと羊や山羊が半頭〜一頭分の皮でできていたからです。一冊の本は、ですから何十頭かの羊のなれのはてなのです。

 エジプトからパピルスも入って来ましたが、当時はまだパピルスのほうが羊皮紙の何倍もの価格でしたので、たかが紙、されど……中世の紙はとにかく高い! インクにも手間がかかっています。挿し絵の色づけの顔料には鉱物などを砕いたものを使いますし、金色には金箔を貼ります。

 その上、印刷技術は十五世紀にようやく東洋から伝わったに過ぎず、中世盛期には書物はほとんど手書きで作られました。一冊の本を手書きで写すのには半年から一年、長いものはそれ以上かかり、さらに挿し絵画家、装丁職人の手を経て長い月日を費やされて完成するのでした。そんなわけで、その人件費と材料費その他あわせて、中世の大学生が使う教科書一冊の値段は、教授の年俸の半分〜1.5倍くらいだったそうです。ちょっと気が遠くなりましたね。盗難防止のため、鎖で書庫にとりつけられている書物もありました。宝石並みの扱いです。

 値段のことばかり強調してしまいましたが、中世の読書が今と違う点というのは、もうひとつありまして──つまり中世では「読む」という行為は必ず「声に出して読む」ということだったらしいのです。

 読み書きひとつをとっても、紙にたくさん書いて覚えるということは経済的に無理だったので、学問するというときには「音読暗唱」とか「弁論」、「討論会」という形をとられることが圧倒的に多かったのです。

 それがたたき込まれた結果でしょうか、私は理解に苦しみますが、手紙さえも「読む」時には「声に出して読む」のが当たり前だったようです。

 それで機密文書を送るときにはどうするかというと、「これは機密文書なので、秘密が漏れないようにひとりで読んでほしい」という内容のことを手紙の最初に書いておかなければなりません。「黙って読め」とは言わないのです。誰もいないところで手紙や書物を読む時も、声に出して読んでいることをうかがわせる文献が西欧では中世といわず、古代でも見られます。とっても不思議ですが、これは習慣の違いなのでしょう。

 図書館で足音しのばせて沈黙の中で読書する私たちを中世の人々が見たらなんと思うのでしょうか?

 こんなふうに考えると、秋の夜長といわず一年中、好きな時にコバルトを黙々と読むって、高貴で特殊なのかもしれません。
          
  (7月31日)
  

(本稿は集英社発行 Cobalt 1996年 8月号に掲載されたものです。)