番組で紹介した孝謙・称徳天皇の言葉について
「天下はなんじに授けた。王を奴婢にするのも、奴婢を王にするのもなんじの自由だ。」
天平宝字8(764)年10月9日、淳仁天皇を淡路島に配流したときに、孝謙上皇が残した詔より。かつて聖武上皇が自分に語った言葉として紹介している。
「私の子供は、この皇太子一人。」「私だと思って二心無く仕えよ」
神護景雲3(769)年10月1日、和気清麻呂を大隅に配流した後に称徳天皇が残した詔より。同じく聖武の言葉として紹介している。
「仏法僧の三宝を盛んにせよ。」
同じ日の詔より。聖武が孝謙/称徳に大切にせよと言い残した筆頭に仏教を挙げ、「天神・地祇の祭祀」「天下の諸人民を慈しめ」と続く。
「私が新しく立てた天皇なのに、淳仁は私に恭しく従うことがない。」
「暴言を吐き、無礼を働いた。」
「祭礼など小さいことは今の天皇が行え。国家の大事と賞罰は私が行う。」
天平宝字6(762)年6月3日の孝謙上皇の詔より。孝謙上皇と淳仁天皇は改修中の平城宮から出て、仲麻呂が、根拠地の近江に築いた離宮に住んでいた。上皇は保良宮を出て、法華寺に別居した理由を述べ、淳仁から実権を取り戻す宣言を行う。
「今回の神託について、清麻呂らと謀った者がいることは知っている。謀りごとをたくらんだ者は心を改めて以後は仕えよ。」
「そもそも君主の位というものは、願い求めても得ることは難しい。」
「やはり仏や神がお許しにならないならば…かえって身を滅ぼし災いを蒙り、自分も人も罪に陥ってしまう。」
神護景雲3(769)年10月1日の詔。道鏡を皇位につけることを否定した。この日に「恕」と書かれた長さ8尺の帯を、5位以上の臣下と藤原氏全員に配った。
CG復元した天平時代の大仏殿について
大仏殿の構造は年代によって変化している。今回は、757(天平宝字1)年、聖武上皇の一周忌が行われ、大仏と大仏殿が完成したときの姿を、専門家の考証に基づいてCG復元した。
回想シーンの影絵について
大阪・高槻市在住の影絵作家・宇津木秀甫さんに依頼。宇津木さんは影絵集団「アクト座」を主宰している。
聖武天皇の肖像
聖武天皇遠忌1250年の昨年、小泉淳作氏が東大寺の依頼で作成したもの。衣装は今回の番組で使用したものと同じ冕服で、京都橘大学教授・猪熊兼勝さんの監修で復元された。聖武天皇の肖像画として、従来は同じく東大寺所蔵の四聖御影が知られていたが、衣装は平安時代のもので時代考証的には奈良時代のものといえない。
孝謙天皇の肖像
西大寺所蔵。江戸時代の住吉派の絵師が描いたもので、装束は天平時代のものではなく江戸時代のもの。
聖武上皇崩御の年号 天平勝宝8(756)歳5月2日
天平勝宝7(755)年正月4日、孝謙天皇は詔を出し、天平勝宝7年を改め天平勝宝7歳としている。理由は定かではないが聖武上皇の病気の平癒を願ったとも考えられ、聖武崩御後の天平宝字元(757)年にもとに戻されている。中国風に倣った改革の一環だった。
史跡 下野薬師寺跡
かつては広大な敷地を誇った寺だったが、平安時代に廃絶している。その後、旧境内跡地に、南北朝時代に安国寺が建てられた。番組で紹介したお堂は、かつての下野薬師寺の戒壇跡に、江戸時代に建てられたもの。また近くに歴史館があり、最近の発掘調査の成果を展示している。
所在:栃木県下野市薬師寺1636 下野薬師寺歴史館 Tel.0285-47-3121
道鏡塚
下野薬師寺の境内の一角に塚があったが、現在は龍興寺の境内になっている。
所在:栃木県下野市薬師寺1416 下野薬師寺別院 龍興寺 Tel.0285-48-0115
孝謙天皇神社
無住の神社で、5つの家族の人々が輪番で祀っている。孝謙/称徳天皇の命日は8月4日だが、月命日の毎年9月4日に法要が行われる。番組で紹介した五輪塔は神社のご神体で、法要の時に拝むことができる。
所在:下野市石橋町上大領
総国分尼寺 法華寺
本尊は番組で紹介した国宝「十一面観音立像」で、普段は御前立ち(レプリカ)を拝むことができる。3月20日〜4月7日、6月4〜8日、10月22日〜11月14日、本尊も公開される。
所在:奈良市法華寺中町 TEL:0742-33-2261
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