(2)柳生〜忍辱山(にんにくせん)


落ち着いた雰囲気の柳生街道

柳生街道は、その昔奈良興福寺の槍の道場と、柳生正木坂の剣の道場を結んだ道と云われているが、山の辺の道と人気を二分するらしい。

家老屋敷跡より少し進むと八坂神社及び柳生家の菩提寺である芳徳寺など、柳生ゆかりの遺跡が点在する。

家老小山田主鈴の屋敷跡



これより柳生街道への山道となり、良く整備された東海自然歩道が続いていた。

少し登った所に、巨石に刻まれた地蔵に出会う。これが「疱瘡地蔵」である。
地蔵の横には室町時代の徳政一揆に関する碑文が刻まれている。

かくして次の「南明寺」まで歩く事約1時間、丘陵あり田畑ありで変化に富んだコースを満喫できる。
途中「おふじの井戸」などがあり、その盾看板のある場所で農家の老夫婦が農作業をしていたので、何気なくその奥方に道を尋ねる。
柳生宗矩むねのりの側室となった「おふじ」も、こうして道を尋ねた宗矩への頓智の利いた受け答えに見初められたと記載されている内容を後で読み、びっくりする。まったく偶然の出来事であった。
思えばその老婦人も、中々分かりやすく丁寧に教えてくれたな〜。(^^;)

これより約5分、鎌倉時代建造の「南明寺」に着くが、重文の薬師・釈迦・阿弥陀の如来像が安置されているらしいが、ここも時間がないためパスとする。

夜支布(やぎゅう)山口神社

道標を頼りに田畑の間を歩くと、間もなく小高い森が見えてきた。
夜支布(やぎゅう)山口神社のこんもり繁った森は大柳生の氏神様で、ここの集落は先程の柳生より裕福な農家が多くみられ、総桧作りの立派な家が点在する。







ここも田植えに忙しいのか、お父さん・お母さん・小学校低学年の子供まで手伝う微笑ましい光景が見られた。
写真を1枚撮ろうかと一瞬思ったが、やはり一生懸命頑張っている様子を単に物珍しさで撮るには不謹慎な思いがしたので止めた。

この大柳生の地から忍辱山の円成寺まで、変化に富んでいるが登りが続き結構疲れた〜。


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