金蔵寺の境内
金蔵寺は、奈良時代初期の養老二年(718年)隆豊禅師(りゅうほうぜんじ) によって開創された寺院で、平安京造営の際には、新都の平安を祈念して 経文が収められたことから、西の岩倉と呼ばれています。その後応仁の乱、 及び永禄の兵火によりほとんどの建物が焼失し、現在の建物は、大部分が 江戸時代に再建されたものとなっています。 「小塩山歴史的自然環境保全地域」
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