必殺技名鑑

   アーム・ブリーカー

 1974年6月26日に大阪府立体育会館でシンの腕をへし折ったのが有名。テコの原理に基づき、自分の肩に相手の腕を乗せ、上から下へ振り下ろす。アンドレの大木のような腕を担いで絞り上げる姿が印象的。


   アキレス腱固め

 新日本の道場では使われていた基本的な関節技だが、UWFの選手が試合で使用したことで脚光を浴びた。腕を使って相手のアキレス腱を締め付ける技。UWF代表として挑んできた藤原と対戦した際は、「元祖」対「本家」の対決といわれ、アキレス腱固め合戦が注目を集めた。


   浴びせ蹴り

 レオン・スピンクスとの異種格闘技戦の秘密兵器として開発した骨法の技。体こと回転し、反動をつけて足を浴びせていく。


   アリ・キック(ローキック)

 モハメッド・アリ戦で、スタンディングでの攻撃が禁止されたため、苦肉の策として編み出した。寝転びながら打ったローキックでアリに負傷を負わせたことから、座りながら相手のヒザからカカトにかけてローキックの要領で打ち込む。以降、プロレスの試合でも使用し、アリ戦で使ったことから、アリ・キックと呼ばれるようになった。


   アントニオ・ドライバー

 1966年10月12日の東京プロレスの旗揚げ戦でバレンタイン相手に初公開。第5回Wリーグで対戦したサンダー・サボーのフロントネック・チャンスリーを体得したといわれる。フロントネックロックの状態から、もう片方の腕を相手の脇の下に入れて後方に投げる。東京プロレス時代の必殺技。日本プロレスに復帰後、封印され、幻の必殺技となった。


   腕固め

 1986年6月17日に愛知県体育館でアンドレから世界初のギブアップを奪った技。アンドレの左肩に馬乗りとなって腕ひしぎ逆十字の型で左腕を絞り上げた。その後、ベイダーにも決めるなど、対大型選手用の切り札である。


   腕ひしぎ逆十字固め

 両膝で相手の腕を挟み、腹に力を入れて、腕の伸ばす。関節技とはすなわちテコの原理である。異種格闘技戦を通じて脚光を浴びたが、実は昭和45年3月7日の台東体育館にて、インターナショナルタッグ選手権で、2本目にフリッツ・フォン・エリックからこの技でギブアップを奪っている。


   延髄斬り

 ジャンプして相手の後頭部を蹴りつける。古舘伊知郎が「修羅場くぐりの延髄斬り」とアナウンスした通り、猪木の数々の危機を救った切り札的な技。アリ戦の際に開発されたが、公開練習で使用したため、アリからのクレームでルールにより使用できなくなった。後のチャック・ウエップナー戦で初使用するが、失敗。初めての成功はキム・クロケイド戦だった。引退試合でも見事に決めている。


   回転足折り固め

 強靭なブリッジを利して、相手を丸め込む固め技。坂口と組んでゴッチ、テーズ組と対戦した際、ゴッチからフォールを奪っている。回転技としては、後方回転エビ固めや前方回転エビ固めも得意としている。


  鎌固め

 リバース・インディアン・デスロックをかけたままの状態からブリッジそて相手の首を極める。東京ドームで馳浩に仕掛けられたときは見事に切り返した。


   キー・ロック

 腕をロックする固め技。ゴッチやアンドレ、バックランドにかけ、持ち上げられた場面が印象的。


   原爆固め(ジャーマン・スープレックス・ホールド)

 相手の背後に回り、後方へ反り投げ、ブリッジで固める。「プロレスの芸術品」といわれる。カール・ゴッチ直伝。ストロング小林に見舞ったジャーマンは、形は綺麗とはいえないが、一瞬両足が浮き、首だけで小林の全体重を支えたことで「伝説のジャーマン」といわれる。初公開は昭和44年6月12日の秋田県立体育館での猪木&馬場対スカル・マーフィー&ストロハイム戦の3本目にクルト・フォン・ストロハイムに決めた。


   コブラ・ツイスト

 卍固めをマスターする以前の猪木の必殺技だった。ジャイアント馬場が使ったのを見てコブラ・ツイストをやめ、卍固めをマスターしたといわれる。相手の首に両手を巻き付ける方式と右腕をロックして締める方式の2種類を使い分けていた。この技に対する猪木の思い入れは強く、ファイナルカウントダウンではウイリーと決め技限定マッチでこの技を指定。引退試合でも、コブラツイストから倒れ込んでのグラウンドコブラが最後の技となった。


   逆さ押さえ込み

 相手と背中合わせになり、両腕をクラッチして両ヒザを着ける。その際に相手の肩もマットにつけてフォールする。一瞬の切り返しで、数々の逆転勝利を収めている。


   スピニング・バックブリーカー

 昭和44年から45年頃にかけて、猪木はアルゼンチン・バックブリーカーとともにカナディアン・バックブリーカーに独自の改良を加えたスピニング・バックブリーカーを頻繁に使用していた馬場、坂口という2人のパワーファイターが大活躍していた時代であり、それを意識して力技の背骨折りを見せたのかもしれない。


   ダイビング・ニー・ドロップ

 数少ない飛び技の一つで、猪木自身は好きな技と語る。無駄のない動きで素早くコーナー最上段に駆け上がり、片ヒザ立ちの状態で投下する。平譲でフレアーに見舞ったようにフィニッシュにつなげることもある。


   ダブル・アーム・スープレックス(人間風車)

 猪木にしては大技の部類に入る。相手の両腕をチキンウイングに捕えて投げつける。昭和43年にビル・ロビンソンが日本に持ち込んだ。ブロディーの巨体も投げきった。ビル・ロビンソンとの一戦では、敢えてロビンソンの必殺技であるこの技を仕掛けていった。


   ドロップ・キック

 延髄斬りの影に隠れているが、猪木はドロップ・キックの名手でもある。アンドレの顔面にも垂直に見舞っていった。若手時代に受け身を失敗して、腰のすべり症を発症したという、いわく付きの技である。


   バック・ドロップ

 テーズ流の「ヘソで投げる」方式。ルスカを沈めた3連発が印象に残っている。ブロディーを見事に投げきったことでも有名。


   張り手

 ナックルとともに、猪木の重要な痛め技である。30周年記念試合ではベイダーを張り手一発でリング下まで吹き飛ばした。


   ブレーン・バスター

 日本プロレス復帰後、ジャーマン、バックドロップとともにブレーンバスターも投げ技の大技として体得した。ハンセンの巨体も見事に投げ切った。形はあまり綺麗ではない。


   ブロック・バスター・ホールド

 相手を胸の前で抱え、そのまま後方へ投げてブリッジでホールドする。1975年10月9日に蔵前国技館にてNWF世界ヘビー級選手権でルー・テーズに決めた。


   魔性のスリーパー(スリーパー・ホールド)

 頸動脈を締め付ける。晩年の猪木の切り札である。一瞬にして相手を絞め落としたことから「魔性のスリーパー」として脚光を浴びる。初めはチョークで反則を取られたため、チョーク・スリーパーとも呼ばれたが、猪木自身は、厳密にはチョークではないと語る。スリーパー・ホールドは全盛期から使用していた。


   卍固め

 ゴッチ直伝。猪木の最もポピュラーな必殺技。別名アントニオ・スペシャル。当初はオクトパス・ホールド(蛸固め)と呼ばれたが、一般公募により卍固めと命名された。第11回Wリーグ戦の決勝でクリス・マルコフに決めたシーンが最も印象的。この技の使い手は多いが、猪木の、体に巻き付く感じは独特だという。初公開は昭和43年12月13日に後楽園ホールでのタッグ戦でブルート・バーナードに決めた。1977年7月15日には新卍固めも初公開した。


   弓を引くストレート(ナックル・パンチ)

 弓を引くように大きく振りかぶって打つ、猪木独特のナックル・パンチ。激高した猪木が繰り出すと会場はヒートアップした。


   弓矢固め(ボー・アンド・アロー)

 相手の両足をインディアン・デスロックで固め、相手のアゴを持ち、背中に両ヒザを置く。そして勢いをつけて半回転する。1974年の新日版第1回ワールドリーグでは、この技でキラー・カール・クラップを破って優勝している。


   リバース・インディアン・デスロック

 うつ伏せにした相手の両足をクロスさせ、自分の片足を中央に差し込んで固定し、後ろ受け身の要領で倒れ込み、ダメージを与える痛め技だが、倒れる際に、手を叩いて観客にアピールする場面は、全盛期の猪木の見せ場であった。


   リバース・スープレックス

 相手を背中にかつぎ、後方に倒れてフォールする。手四つの力比べからブリッジへ。起き上がったところをリバース・スープレックスという攻防は、まさに新日の原点。新日旗揚げ戦では、ゴッチにこの技を決められ、敗れている。