イラク「平和の祭典」

 湾岸危機最中の1990年12月1日、猪木はイラクに乗り込んで「平和の祭典」イベントを開催した。日本人人質の41家族46人が同行した。
 祭典は2、3日の両日、イラク人の観衆を前に、ロックコンサート、古典芸能、空手トーナメント、そして最後にプロレスが行われ、大成功で幕を閉じた。この間、訪れた家族と人質の対面が実現した。
 そして12月5日、日本人人質の解放が決定。さらに7日には人質全員の解放が決定された。
 私は、あらゆるニュース番組でこの模様を観た。リングに上がらなくても、やっぱり猪木は猪木だと思った。プロレスにまさるとも劣らない感動を与えてくれた。
 この計画に反対であった日本政府の圧力で航空会社にフライトをキャンセルされた猪木の窮地を救ったのが、ユセフ・トルコの協力によるトルコ航空のチャーターであったというのも、プロレスファンとしては涙もののエピソードである。