’87イヤーエンド・イン・国技館

 東京プロレス時代、板橋板谷駐車場大会において、主催者側の一方的な試合中止発表に怒ったファンが暴動を起こしたのを初めとして、猪木の周辺には「暴動騒ぎ」が何度となく起きている。
 私がその場に居合わせたのは、この1987年末の両国国技館である。プロレスファンとしてこれほど哀しい想いをしたことは他にない。
 この事件には、視聴率が低下していたプロレス中継のテコ入れとして、テレビ朝日が「ギブUPまで待てない!ワールドプロレスリング」を開始。司会に山田邦子、レギュラー出演に男闘呼組というバラエティー路線の番組作りでファンのひんしゅくを浴びていたという伏線があった。
 ビートたけしのTPG(たけしプロレス軍団)が、刺客として連れてきたビッグバン・ベイダーが、参謀役のマサ斎藤と伴にリングに上がり、この日、長州とのシングルマッチが決まっていた猪木に対戦を要求。猪木がこれを受け入れた。
 長州は急きょセミのタッグマッチに登場。試合の間中「やめろコール」が鳴り響き物が乱れ飛んだ。ファンの怒りも分かるし、試合をしている選手のことを思うとかわいそうでもあった。
 納得のいかない長州のアピールで猪木とのシングルマッチは実現したが、長州が既に1試合消化していたことと、猪木が徹底的に長州の負傷していた顔面を攻撃したことで消化不良の結末になる。さらには、猪木が続けて対戦したベイダーに3分足らずでフォール負けするという不甲斐ない結果に場内は騒然となった。
 私は、怒りよりも哀しみで胸が一杯になり、足早に会場を後にしたが、その後暴動が起き、両国国技館の使用が1年間禁止された。
 今となっては、あの頃の新日のどん底のときを体験しているからこそ、今の感動があるのだとも思え、いい思い出となっているが、二度とあんな哀しい思いはしたくないものである。