IWGP

 International Wrestring Grand Prixの略で乱立するチャンピオンベルトを統一するという主旨のもと猪木の究極の目標として華々しくスタートしたIWGPだったが、結果的には闘魂のかげりを示すものとなってしまった。
 世界6地域で予選を開催した上で、ニューヨークMSGで決勝を行うという計画だったが、結局は日本全国を回る新日本のシリーズとなった。アジア地域予選リーグは何勝すれば代表になれるかなどの説明がなく、参加選手は新日本の選手ばかり、2勝のキラー・カーンが代表となった規準も不明確だった。前田日明が欧州代表になった選考過程も不明瞭で、前夜祭には参加したディノ・ブラボーが家庭の事情で1試合も参加せずに帰国するという不手際もあった。
 それでも第1回のリーグ戦は、全28戦で1日の休みもなし、超満員18大会、満員5対会の大盛況だった。
 そして決勝戦の檜舞台で猪木はハルク・ホーガンのアックス・ボンバーによって、失神KO負けを喫し、敗れ去る。舌を出して横たわる姿が衝撃的ふだった。そのまま担架で病院に運ばれた猪木だったが、その夜、病院を抜け出していた。頭を打って失神した人間は舌を出す事はないという医師の証言があった。坂口征二が「人間不信」の書き置きをして行方不明となったなど不可解な噂もある。
 翌年の第2回大会は決勝で同じくハルク・ホーガンをリングアウトで破り、念願の初優勝を飾ったが、長州力が乱入し、場外の猪木とホーガンにリキラリアートをみまった中での不透明決着で、場内は騒然、暴動騒ぎとなった。
 昭和62年の第5回大会までは年に1度のリーグ戦形式で行われ、すべて猪木が優勝している。それ以降は正式にタイトル化され、定期的に防衛戦を行う現在の形式となった。
 ホーガンにKO負けを喫したときは「闘魂神話崩壊」といわれ、以降もファンを納得させるような試合を展開することができず、また世界統一という当初のインパクトも徐々に薄れていった。逆にホーガンはこの闘いを通じてアメリカのスーパースターへと成長していった。
 その後は、タッグ、ジュニア、ジュニアタッグ部門も新設され、4本のIWGPのベルトは新日本の看板タイトルとなっている。