新日本プロレス

 今や日本マット界に一大帝国を築きつつある新日本プロレスだが、日プロの妨害で外人レスラー招聘ルートは閉ざされ、テレビ放映もない、厳しいスタートであった。
 新日本プロレスKK(資本金1千万円)、代表取締役・猪木寛至。事務所を渋谷区猿楽町の代官山パシフィック・マンション内に開設。世田谷区上野毛にオープンした道場には「闘魂」「創意」「実行」の社訓が掲げられた。
 日プロを追放された猪木と行動を伴にしたのは山本小鉄、木戸修、デビュー間もない藤波辰巳(辰爾)、レフェリーのユセフ・トルコだった。後にメキシコ遠征から帰国した柴田勝久(後に新日レフリー)、北沢幹之(後にRINGSレフリー)も参加する。
 旗揚げ興行は「オープニング・シリーズ」で3月6日、大田区体育館〜4月6日、越谷市体育館の全14戦。このシリーズで浜田広秋(グラン浜田)、関川哲夫(ミスター・ポーゴ)がデビューしている。
 参加外人はカール・ゴッチの他ジム&ジョンのドランゴ兄弟、ブルックリン・キッド、イワン・カマロフ、エル・フリオッソ、インカ・ペルアーノ。
 旗揚げ第1戦は大田区体育館に超満員(5千人)の観客を集めた。猪木が挨拶をしているところに、東京プロレス時代に喧嘩別れした豊登が激励に駆けつけた。猪木、レフェリーのトルコ、山本小鉄に要請され、豊登が急きょ小鉄とのタッグで試合出場を決め、猪木が感激の涙を流すというハプニングで幕を開けた。リングアナウンサーの大塚直樹氏(後の営業部長、ジャパンプロレス設立)の姿もあった。
 メインは猪木がカール・ゴッチに挑んだが、リバース・スープレックスに敗れ、新しい船出を飾ることはできなかった。