異種格闘技戦(全記録)

1976年(昭和51年) 2月 6日 日本武道館  格闘技世界一決定戦
アントニオ猪木(20分35秒 TKO)ウイリエム・ルスカ
 
 猪木がアリに対戦を迫るのを聞きつけた柔道のミュンヘン五輪金メダリストであるルスカがが猪木に挑戦を表明。初の異種格闘技戦が実現した。
 柔道の投げ技、ケサ固め、横四方固めなどで劣勢に立った猪木だったが、張り手からコブラツイストで反撃。柔道着を脱ぎ捨てて立ち向かうルスカに、猪木はドロップキックからバックドロップ3連発でTKO勝ち。プロレスの強さを世間に知らしめた。

1976年(昭和51年) 6月26日 日本武道館  格闘技世界一決定戦
アントニオ猪木(15R 引き分け)モハメッド・アリ
 
 「誰とでも闘う」というアリの言葉尻をとらえ、猪木が執拗にアリに挑戦、ついに実現した夢の対決である。当時のアリは現役のボクシング世界チャンピオンで、紛れもない世界のスーパースターだった。「アリと闘った男」として猪木の名は、瞬く間に世界中に知れ渡った。
 ルールに縛られた猪木が、苦肉の策としてスライディングキック(アリ・キック)に終始した単調な試合内容で「世紀の凡戦」といわれたが、この闘いを実現させたことに意義があり、今では試合の評価も大きく変わっている。
 判定は三者三様で引き分けに終わるが、猪木に蹴りまくられたアリは左足を負傷して入院。また猪木はこの一戦で何億という借金を背負い込み、借金返済のために異種格闘技路線を歩まざるを得なくなる。

1976年(昭和51年)10月 7日 蔵前国技館  格闘技世界一決定戦
アントニオ猪木(23分44秒 TKO)アンドレ・ザ・ジャイアント
 
 格闘技世界一決定戦シリーズにおいて、猪木は必ずしもプロレスの代表ではないとして、アンドレが猪木に挑戦した一戦である。
 リバース・スープレックス、一本背負いでアンドレの巨体を投げ、パンチと鉄柱攻撃で額を叩き割った猪木がTKO勝ちした。

1976年(昭和51年)12月 9日 蔵前国技館  格闘技世界一決定戦
アントニオ猪木(21分27秒 レフェリーストップ)ウイリエム・ルスカ
 
 2月の敗戦後、ルスカはプロレスラーに転向。ショートタイツ姿で再戦に臨む。寝技で猪木を追い込んだが、場外戦で流血に追い込まれ、最後はまたもバックドロップに沈んだ。

1976年(昭和51年)年12月12日 カラチ・ナショナル・スタジアム  格闘技世界一決定戦
アントニオ猪木(3R1分5秒 ドクターストップ)アクラム・ペールワン
 
 アリ戦で世界に知られる存在となった猪木にパキスタンから挑戦状が届いた。当地の英雄であるペールワンからの挑戦を猪木は受諾し、適地に乗り込んだ。
 「噛み付いてきたので、目つぶしをした」と猪木が語るような凄惨な試合となる。猪木のアーム・ロックが完全に決まったが、当地の英雄であったアクラムはギブアップせず、猪木はチキンウイング・アームロックでアクラムの腕を折った。これによってアクラムの地位は失墜し、逆に猪木がペールワン(No1)の称号を得た。

1977年(昭和52年) 8月 2日 日本武道館  格闘技世界一決定戦
アントニオ猪木(5R1分38秒 KO)ザ・モンスターマン・エベレット・エディ
 
 全米プロ空手チャンピオンのモンスターマンとの一戦は、異種格闘技戦の中で屈指の名勝負といわれる。
 モンスターマンの速い打撃攻撃に苦しんだ猪木だったが、ロープ際でのナックルパンチで形成を逆転。モンスターマンをかつぎ上げ、頭から落とした技はまぎれもなく元祖パワーボムである。そのままギロチンドロップからKO勝ち。

1977年(昭和52年)10月25日 日本武道館  格闘技世界一決定戦
アントニオ猪木(6R1分35秒 逆エビ固め)チャック・ウエップナー
 
 ウエップナーは「喧嘩屋」と呼ばれ、映画「ロッキー」のモデルといわれる。猪木対アリ戦と同時にニューヨークでアンドレ・ザジャイアントと異種格闘技戦を戦っていた。
 猪木はオープンフィンガーグローブ着用で試合に臨んだ。ウエップナーのパンチで何度かダウンしながらも、最後は空を切ったあに見えた延髄斬りがダメージを与え、逆エビ固めで1度はロープ際だったが、再び中央に引きずり試合を決めた。

1978年(昭和53年) 4月 4日 フィラデルフィア・アリーナ  格闘技世界一決定戦
アントニオ猪木(3R1分19秒 KO)ザ・ランバージャック・ジョニー・リー
 
 アメリカで開催された格闘技の祭典、坂口はモンスターマンと、ストロング小林はアレンと、3大異種格闘技戦が行われた。
 ランバージャックは全米空手チャンピオンでモンスターマンの好敵手という触れ込みだったが、猪木に危ない場面はなく、延髄斬り、ダブルアームスープレックス、バックドロップと畳み込みKO勝ちした。

1978年(昭和53年) 6月 7日 福岡スポーツセンター  格闘技世界一決定戦
アントニオ猪木(7R1分58秒 KO)ザ・モンスターマンエベレット・エディ
 
 猪木がランバージャックに勝利したアメリカの格闘技の祭典で、モンスターマンは坂口にKO勝ちし、猪木に再戦を要求した。猪木は神輿に乗って登場というド派でな入場シーンを見せた。
 6Rにもつれて両者が場外に転落。猪木が場外でコブラツイスト、上がり際に額への延髄斬りで、勝負あったが、ゴングに救われる。7Rは猪木のキック、チョップ、バックドロップの猛攻でモンスターマンはグロッキーとなったが、レフェリーは試合を続行。グラウンドコブラでようやく試合を止めた。

1978年(昭和53年)11月 9日 フランクフルト フェストホール  格闘技世界一決定戦
アントニオ猪木(4R1分15秒 逆エビ固め)カール・ミルデンバーガー
 
 ボックと戦った欧州世界選手権シリーズの一戦として行われた。ボクサーとの異種格闘技戦。猪木もグローブ着用となった。
 延髄斬りから約エビ固めで快勝した。

1979年(昭和54年) 2月 6日 大阪府立体育館  WWWF格闘技世界ヘビー級選手権
アントニオ猪木(3R50秒 逆十字固め)ミスターX
 
 格闘技戦史上、最もトホホな相手といえる黒人空手マスクマンだった。漫画「四角いジャングル」に登場するキャラクターだったが、実力は乏しく、逆十字固めで一蹴した。

1979年(昭和54年) 4月 3日 福岡スポーツセンター  WWWF格闘技世界ヘビー級選手権
アントニオ猪木(6R1分19秒 TKO)レフトフック・デイトン
 
 ボディビルで鍛え上げた体、空手、カンフー仕込みの打撃で意外な実力を発揮したデイトンだったが、猪木のヘッドバットを食らって戦意喪失。最後はバックドロップの連発に散った。

1979年(昭和54年) 6月17日 パキスタン ラホール市 カダフィスタジアム  格闘技世界一決定戦
アントニオ猪木(5R 引き分け)ジュベール・ペールワン
 
 アクラムの敗戦から3年後、弟のジュベールが一族の威信を賭けて、猪木へのリベンジに挑んだ。10分5ラウンド、1フォールの変則ルールで行われた試合は時間切れ引き分けに終わった。

1979年(昭和54年)10月 5日 韓国・奨忠体育館  WWWF格闘技世界ヘビー級選手権
アントニオ猪木(15分6秒 弓矢固め)ウイリエム・ルスカ
 
 原点に戻り、柔道着を着用したルスカが三たび猪木に挑んだが、またも途中で道着を脱ぎ捨て、最後は延髄斬りからの弓矢固めで猪木が勝利した。

1979年(昭和54年)12月13日 京都府立体育館  WWWF格闘技世界ヘビー級選手権
アントニオ猪木(3R58秒 KO)キム・クロケード
 
 ウイリー戦を前にした空手家との対戦。ブレーンバスターから延髄斬り、ギロチンドロップで猪木が圧勝した。

1980年(昭和55年) 2月27日 日本武道館  WWWF格闘技世界ヘビー級選手権
アントニオ猪木(4R1分24秒 両者ドクターストップ)ウイリー・ウイリアムス
 
 「熊殺し」として有名なウイリアムスとの一戦は、プロレス対極真空手という険悪なムードの中、異種格闘技戦の中でも最も殺気立った雰囲気の中で行われた。
 猪木がウイリーを腕ひしぎに捕らえたままリング下に転落。両陣営のセコンドが乱入し、収拾がつかず、ドクター・ストップの引き分けとなった。猪木はアバラ、ウイリーは左肘を負傷していた。
 この一戦で、一連の格闘技路線に一旦の終止符を打つ。

1984年(昭和59年) 9月20日 大阪府立体育館  異種格闘技戦
アントニオ猪木(5R25秒 片エビ固め)アノアロ・アティサノエ
 
 ウイリー戦以来、約4年振りに復活した異種格闘技戦で小錦の兄というアティサノエと対戦。しかし、実力の差は明かで、凡戦に終わった。誌顎はスタミナが切れ、バックドロップであっけなく敗退。
 アティサノエはその後、新日本に入門したが、いつの間にか消えた。

1986年(昭和61年)10月 9日 両国国技館  INOKI闘魂LIVE
アントニオ猪木(8R1分33秒 体固め)レオン・スピンクス
 
 レスラー生活25周年の記念の舞台で元プロボクシング世界ヘビー級王者のスピンクスと久々の異種格闘技戦に臨んだ。猪木はグローブを着けてボクシングスタイルで渡り合うが、分が悪く、4ラウンド目から素手で闘うもペースをつかめず、見せ場のないまま、最後も不可解なフォール勝ちということで暴動騒ぎになりかけた。
 セミでドン・ナカヤ・ニールセンと対戦した前田日明は名勝負を展開。新旧格闘王の交代といわれた。

1989年(平成 1年) 4月24日 東京ドーム  異種格闘技戦
ショータ・チョチョシビリ(5R1分20秒 KO)アントニオ猪木
 
 ソ連アマレス軍団のプロ転向を受け、日米ソも3国対抗戦を軸に、初進出となった東京ドームでメイン務めたのは猪木と柔道ミュンヘン五輪金メダリスト、チョチョシビリの異種格闘技戦だった。円形リングで行われた。
 1Rから猪木はバックドロップを決めるが、大きなダメージは奪えず、パンチ、張り手、キック、頭突きも受け流され、チョチョシビリの裏投げの連発に、壮絶なKO負け。異種格闘技戦で初の黒星を喫した。

1989年(平成 1年) 5月25日 大阪城ホール  異種格闘技戦
アントニオ猪木(2R1分7秒 裏十字固め)ショータ・チョチョシビリ
 
 異種格闘技戦初の黒星からわずか1カ月で猪木は雪辱戦に挑む。裏十字で雪辱を果たし、異種格闘技戦にピリオドを打つ。

 ファイナル・カウント・ダウンで行われたジェラルド・ゴルドー戦、ウイリエム・ルスカ戦、ウイリー・ウイリアムス戦、ドン・フライ戦は含んでいない。