NWF時代

1973年(昭和48年)12月10日 東京体育館  NWF世界ヘビー級選手権
アントニオ猪木(2−1)ジョニー・パワーズ
1.猪木(20分26秒 コブラツイスト)
2.パワーズ(5分49秒 8の字固め)
3.猪木(5分10秒 卍固め)

 旗揚げ2年目、坂口の加入、シンとの抗争で起動に乗った新日本プロレスだったが、NWAに加入出来なかったため世界王座に挑戦できなかった。そこで目をつけたのがニューヨーク州バッファローを拠点として五大湖地区で勢力を伸ばしていた新興団体NWFだった。王者のパワーズは「死神」と呼ばれ、4の字固めの2倍痛いという8の字固めを得意とした。
 猪木はコブラツイストで1本を先取。2本目はパワーズの8の字固めで返されるが、最後は卍固めで、世界王座のベルトを奪取した。以降、IWGPを提唱するまで、このベルトを巡り、シン、ハンセン、アンドレら宿命のライバルたちと名勝負を展開していく。


1974年(昭和49年) 3月19日 蔵前国技館  NWF世界ヘビー級選手権
アントニオ猪木(29分30秒 原爆固め)ストロング小林
 
 力道山対木村政彦戦以来の日本人トップ同志の戦いとして、一大センセーションを巻き起こした。猪木生涯のベスト・バウトの声も高い。NWFの初防衛戦でもある。
 国際プロレスのエースに君臨していた小林だったが、突如フリー宣言をし、馬場、猪木に挑戦を表明。猪木がこれを受諾した。国際プロとの契約の問題で、小林は仲介に入った東京スポーツ新聞社の所属選手となり、この対決が実現した。90分1本勝負、レフェリーは清美川、副審が豊登となった。
 小林のパワーと猪木のテクニックが真っ向からぶつかった名勝負が展開された。最後のジャーマンは、形は決して綺麗とはいえないが、一瞬猪木の両足が浮き、首だけで小林の全体重を支えた「伝説のジャーマン」として今も語り継がれている。余談になるが、この頃の猪木と小林は良く似ている。

1974年(昭和49年) 4月26日 広島県立体育館  第1回ワールド・リーグ公式戦
アントニオ猪木(30分時間切れ 引き分け)坂口征二
 
 「黄金コンビ」と呼ばれ新日の2枚看板であった両雄の対決は、当時の常識では考えられないことだったが、復活させたWリーグ戦の公式戦として初対決が実現した。日本プロレスの末期に、猪木が「坂口なんて片手で3分でやっつけてやる」と発言、坂口は「指3本で猪木を倒す」と反撃したライバル意識もあり、ファンの熱狂を呼んだ。
 試合前にキラー・カール・クラップが坂口を襲撃するという不穏なムードもあったが、大事には至らなかった。猪木の技と坂口の力が激突、白熱の30分の末、猪木の足四の字固めが決まったまま坂口が耐えきり、時間切れ引き分けに終わった。

1974年(昭和49年) 5月 8日 東京体育館  第1回ワールド・リーグ決勝戦第3試合
アントニオ猪木(7分16秒 弓矢固め)キラー・カール・クラップ
 
 第1回のWリーグは、三つ巴の優勝戦となった。第1試合で坂口がクラップに反則勝ちするが、クラップは「鉄の爪」に匹敵する「青銅の爪」を得意とするラフファイターで、坂口のダメージは大きかった。第2試合では、外人勢の乱入もあり、猪木は坂口にドクターストップで勝利、第3試合ではクラップに弓矢固めで初優勝を飾った。
<新日本版ワールドリーグ公式戦 猪木全戦績>

1974年(昭和49年) 6月26日 大阪府立体育館  NWF世界ヘビー級選手権
アントニオ猪木(2−1)タイガー・ジェット・シン
1.両者リングアウト(11分25秒)
2.猪木(9分46秒 レフリーストップ)

 シンとは数々の名勝負を展開したが、インパクトという点ではこの一戦に優る試合はない。川崎市体育館に私服姿のまま乱入、初対決、ランバージャックデスマッチ、新宿伊勢丹前での襲撃事件経て、1週間前の対戦ではシンの火炎攻撃で、猪木は目を負傷した。二人の因縁は沸点に達していたのである。
 1本目はシンの反則ラッシュで収集が着かず、両者リングアウト。2本目は額から流血した猪木の怒りが頂点に達する。アーム・ブリーカーと鉄柱攻撃で猪木は遂にシンの右腕を折った。これが猪木のいう、一線を超えた闘いである。
<猪木vsシン 全シングル対戦成績>


1974年(昭和49年)10月10日 蔵前国技館  NWF世界ヘビー級選手権
アントニオ猪木(13分13秒 体固め)大木金太郎
 
 大木は猪木のデビュー戦の相手で、新人時代には一度も勝つことのできなかった先輩レスラーである。時が流れ、猪木がチャンピオン、大木が挑戦者となった一戦である。猪木対小林戦に刺激を受け、全日プロと日プロの業務提携に不満を持ち、韓国に帰っていた大木が猪木に挑戦した。
 試合前に猪木が不意打ちのナックルパンチを見舞い、一気にヒートアップする。猪木は大木の得意技である一本足頭突きを正面から何度も受けて立ち、流血するが、15度目の頭突きにきたところを右のストレートパンチで形勢逆転。バックドロップからフォールを奪った。「受けの美学」を見せつけた名勝負である。

1975年(昭和50年) 2月 6日大田区体育館  1対2ハンディキャップマッチ
アントニオ猪木(6分14秒 体固め)マクガイヤー兄弟
 
 超巨漢の双子、ビリーとベニーのマクガイヤー兄弟。実力はさることながら、バイクでの愛らしい入場シーンが注目を集めた。1対2のハンディキャップマッチで対戦し、ベニーを体固めで破った。

1975年(昭和50年) 6月26日 蔵前国技館  NWF世界ヘビー級選手権
アントニオ猪木(2−1)タイガー・ジェット・シン
1.猪木(10分41秒 回転足折り固め)
2.シン(2分47秒 アルゼンチン式背骨折り)
3.猪木(4分23秒 体固め)

 腕折り事件でNWF本部ともめた猪木は王座を返上、王座決定戦にも敗れた猪木が挑戦者として、王者のシンに挑んだNWF戦である。
 これまで狂乱ファイトに徹してきたシンが猪木とストロング・スタイルのレスリングで堂々と互角に渡合った異色の試合である。惜しくも敗れた後も、猪木の手を挙げて祝福するという信じられない光景が見られた。シンの実力者ぶりを示した一戦である。


1975年(昭和50年)10月 9日 蔵前国技館  NWF世界ヘビー級選手権
アントニオ猪木(17分40秒 岩石落とし固め)ルー・テーズ
 
 猪木対ゴッチ戦のレフェリーを務めたことで刺激を受け、カムバックを果たしたテーズが猪木に挑戦。年齢とブランクを感じさせない好ファイトを展開した。レフェリーはアントニオ・ロッカが務め、オールドファンを狂喜させた。
 テースは必殺のバックドロップを狙ったが、猪木は回り込み、逆にバックドロップでテーズを投げ切った。最後は豪快にブロックバスターを決め、フォール勝ちを奪った。

1975年(昭和50年)12月11日 蔵前国技館  NWF世界ヘビー級選手権
アントニオ猪木(1−1)ビル・ロビンソン
 
1.ロビンソン(42分53秒 逆さ押さえ込み)
2.猪木(16分19秒 卍固め)

 同日同時刻に日本武道館で「力道山13回忌追善特別大試合」が行われ、全日本、国際、旧日本の3団体が参加。猪木の新日本はこの試合が決まっていたため不参加となり、力道山家と波紋騒動となった。そんな中、最高のテクニシャン同士の夢の対決として世間の対注目を浴びた。「人間風車」ロビンソンとの一戦は、S小林戦と並び猪木生涯のベスト・バウトという声が高い。
 白熱の攻防の末、一瞬の逆さ押さえ込みでようやく1本先取したロビンソンは逃げ切り態勢に入る。猪木が必死に挑発、やっと卍固めに捕らえたと同時にタイムアップ、引き分けとなった。スリル満点の名勝負だ。


1977年(昭和52年)12月 8日 蔵前国技館
アントニオ猪木(3分49秒 KO)グレート・アントニオ
 
 密林男と呼ばれ、バスを引っ張るパフォーマンスで一世を風靡したアントニオが久々に来日、猪木と対戦した。しかし、何故か猪木の怒りが頂点に達し、容赦のないナックルパンチとキックの連打を浴びせ、完全KOした。キラー猪木の原点といえる試合である。

1978年(昭和53年) 2月 8日 日本武道館  釘板マッチ
アントニオ猪木(11分2秒 KO)上田馬之助

 猪木はデスマッチの元祖でもある。リング下に敷き詰められた五寸釘はインディーマットで見慣れた光景となっているが、この時が史上初である。
 猪木のアームブリーカーにたじろいだ上田がリング外にエスケープそのまま戻らずカウントアウト負けとなった。釘の上には両者とも落ちなかった。


1978年(昭和53年) 5月30日 大阪府立体育会館  第1回MSG優勝戦
アントニオ猪木(16分32秒 リングアウト)アンドレ・ザ・ジャイアント

 第1回MSGリーグ戦の決勝戦で、大巨人アンドレ・ザ・ジャイアントと対戦。リングアウトで勝利し初優勝を果たす。
<MSG公式戦 猪木全戦績>


1979年(昭和54年)11月30日 徳島市立体育館  WWF世界ヘビー級選手権
アントニオ猪木(28分16秒 体固め)ボブ・バックランド
 
 WWF王座をめぐり、「ニューヨークの帝王」バックランドとは数々の名勝負を展開している。そして4度目の挑戦となるこの試合で遂に日本人初のWWF王座奪取に成功した。
 リングサイドにシンが現れ、猪木が気を取られた隙にアトミックドロップを決められるが、カウント2。今度はバックランドが気を取られ、バックドロップでカウント3が入った。

1980年(昭和55年) 9月25日 広島県立体育館  NWFヘビー級選手権
アントニオ猪木(10分49秒 体固め)スタン・ハンセン

 
 ハンセンとの名勝負の中でも「0.X秒の逆ラリアート」として最も有名なのが、この一戦である。ハンセンが必殺のラリアートにきたところを猪木もラリアートで対抗。相打ちに見えたが、猪木がジャンプしてダイビング気味にたたき込んだことでコンマ何秒かの差でヒットしたといわれる。
<猪木vsハンセン 全シングル対戦成績>


1981年(昭和56年) 8月 6日 蔵前国技館  賞金3万ドル&覆面剥ぎデスマッチ
アントニオ猪木(12分16秒 原爆固め)マスクド・スーパースター

 賞金3万ドル&覆面剥ぎデスマッチで猪木とM・スーパースターが激突した。コブラツイスト、インディアン・デスロックで猪木が圧倒。最後は久々のジャーマンで勝利した。
 スーパースターが激しく抵抗する中、スーパースターのマスクは剥がされたが、外人側のセコンドがすぐタオルを頭にかけて控え室に逃亡させて、スーパースターの姿は見られなかった。