IWGPヘビー級選手権

 乱立するベルトを統合し、統一世界王者を決定するという猪木の格闘ロマンの集大成とすべく、華やかにスタートしたIWGP(インターナショナル・レスリング・グランプリ)だったが、「呪われたIWGP」とも呼ばれ、猪木神話のかげりを見せる結果となってしまった。
 1981年、新日プロはIWGPに向けて始動する。猪木がハンセンとの防衛戦を最後にNWF王座を返上。坂口のWWF北米ヘビー、坂口&長州組のNWA北米タッグ、タイガー・ジェット・シンのNWA北米ヘビー級、アジア・ヘビー級、シン&上田組のアジア・タッグの全6王座が返上された。IWGP参戦を表明し、全日本からアブドーラ・ザ・ブッチャーが参戦という副産物も生んだ。
 83年、遂にIWGP決勝リーグ戦が開催された。参加メンバーは、猪木、キラー・カーン、ラッシャー木村(日本代表)、アンドレ・ザ・ジャイアント、ビッグジョン・スタッド(北米代表)、ハルク・ホーガン(米国代表)、エル・カネック、エンリケ・ベラ(中南米代表)、オットー・ワンツ、前田日明(欧州代表)の10人。決勝戦で猪木はホーガンの斧爆弾に沈み、場外失神KO負けの失態をさらしてしまった。
 翌84年、弟2回のリーグ戦も決勝は猪木vsホーガンとなったが、長州力の乱入で猪木がリングアウト勝ちという不透明決着で、暴動騒ぎとなる。
 85年、トーナメントで行われた弟3回大会は猪木が決勝で藤波を下し、IWGP防衛戦の形でホーガンと再戦。辛くもリングアウト勝ちし、3年越しの雪辱を果たしたが、名勝負と呼べる内容ではなかった。
 86年はAB両ブロックに分かれたリーグ戦形式となり、ブロック優勝の猪木とディック・マードックが対戦、猪木が優勝した。
 87年もAB両ブロックのリーグ戦で、猪木は決勝でマサ斉藤を破り、4連覇を達成した。ベルトはIWGPヘビー級選手権としてタイトル化される。
 猪木は、クラッシャー・バンバン・ビガロ、ディック・マードック、スティーブ・ウイリアムス、長州力を相手に4度防衛したが、左足骨折のため王座返上した。
 弟2代王者となった藤波に挑戦し、60分フルタイムのドローとなったのを最後にベルトは猪木のもとを離れ、同時に猪木も弟一線を退いていく。
 IWGPの王座はその後、長州、グレート・ムタ、橋本、武藤、健介、中邑らに渡り、猪木を継承する新日トップの証となった。

1987年(昭和62年) 6月12日 両国国技館 *王座決定戦で初代新王者となる
 アントニオ猪木(14分53秒 体固め)マサ斎藤
1987年(昭和62年) 8月 2日 両国国技館 *初防衛
 アントニオ猪木(9分38秒 体固め)クラッシャー・バンバン・ビガロ
1987年(昭和62年) 9月 1日 福岡国際センター *V2
 アントニオ猪木(15分22秒 体固め)ディック・マードック
1987年(昭和62年)10月25日 両国国技館 *V3
 アントニオ猪木(11分47秒 リングアウト)スティーブ・ウイリアムス
1988年(昭和63年) 2月 4日 大阪府立体育会館 *V4
 アントニオ猪木(13分58秒 レフェリーストップ)長州力
*ジョギング中に左足甲を骨折し、王座返上
1988年(昭和63年) 8月 8日 横浜文化体育館 *藤波が王座防衛
 藤波辰巳(60分 時間切れ引き分け)アントニオ猪木