世界ヘビー級選手権

 日プロを追われた猪木は新日本プロレスを設立したが、大物外国人選手も招聘できず、存続の危機説も囁かれていた。これに対して、猪木に遅れて日プロを退団し、全日本プロレスを旗揚げした馬場は、日本テレビのバックアップを受け、大物外国人の招聘を独占する。一方、猪木の頼りは師と仰ぐカール・ゴッチのみであった。
 1972年3月6日、新日本プロレスの旗揚げ戦で猪木はゴッチと対戦、その他の外人レスラーもゴッチのルートで招聘した。つづく10月4日、蔵前国技館でも猪木vsゴッチが組まれ、この対戦にゴッチは、初代世界王者フランク・ゴッチから受け継がれた真の世界チャンピオンのベルトを持参。このベルトを賭けて戦った。猪木はリングアウト勝ちながら、初めて師を破り、伝統のベルトを手にした。
 10月9日、広島県立体育館で猪木はレッド・ピンパーネルに卍固めで勝利し、初防衛を果たしたが、翌10日、大阪府立体育館ではゴッチとの再戦に敗れ、6日天下に終わってしまった。
 このベルトはその後、全日が中心となった力道山13回忌特別興行との興行合戦ともなったビル・ロビンソンとの伝説の名勝負で再び登場することになる。立会人のゴッチとルー・テーズが勝者にこのベルトを寄贈すると発表した。
 更に、アリとの異種格闘技戦の調印式にも、猪木はこのベルトを持参し、自分はプロレスの世界王者であると主張したし、1985年9月19日、東京体育館で、猪木の牙城に迫った藤波辰巳(辰爾)との一騎打ちでも、猪木は負けたらこのベルトを譲ると宣言している。
 結局、このベルトは1987年3月26日の大阪城ホールでの中継を最後にプロレス中継を離れた古舘伊知郎氏に寄贈された。

1972年(昭和47年)10月 4日 蔵前国技館 *初戴冠
 アントニオ猪木(27分17秒 リングアウト)カール・ゴッチ
1972年(昭和47年)10月 9日 広島県立体育館 *初防衛
 アントニオ猪木(27分43秒 卍固め)レッド・ピンパーネル
1972年(昭和47年)10月10日 大阪府立体育会館 *王座転落
 カール・ゴッチ(23分12秒 体固め)アントニオ猪木