アメリカ武者修行中の3タイトル

タイトル挑戦

 1964年、アメリカ武者修行に旅立った猪木は、まずハワイのホノルルに到着。アメリカでの第1戦はハワイ・チャンピオンのプリンス・イアウケアに挑むタイトルマッチであった。これが猪木のタイトル初挑戦である。
 以後、テキサス、オレゴン、テネシーと転戦。当時の王座挑戦の正式記録は残っていないが、オクラホマでNWA世界ジュニアヘビー級選手権(ダニー・ホッジ)、オレゴンでノースウエスト・ヘビー級選手権(ペッパー・マーチン)、ヒロ・マツダと組んでテネシー・タッグ選手権にチャレンジしているようだ。


NWAテキサス・ヘビー級選手権

 初戴冠は猪木の記憶によるとAWA世界タッグ選手権とされているが、正式記録によると、それ以前にNWAテキサス・ヘビー級選手権を獲得している。
 1964年6月24日、テキサス州ヒューストンでジョー・ブランチャードを破りトーキョー・トムのリングネームで第118代王者に就いている。
 このベルトは30年代のマルティーノ・アンヘロを初代王者に、バディ・ロジャース、ルー・テーズ、アントニオ・ロッカ、ザ・シーク、ジョニー・バレンタインらが王者となっているが、猪木が最終王者となり、WC(ワールドクラス)テキサス・ヘビー級選手権へと移行。1965年1月にフィリッツ・フォン・エリックが初代王者となった。


WC世界タッグ選手権

 前述のAWA世界タッグは記録によるとWC世界タッグ選手権である。65年10月ダラスのスーポータトリアムでデューク・ケムオカと組み、フィリッツ・フォン・エリック、キラー・カール・コックス組を破り、第2代王者となったが、ザ・デストロイヤー&ゴールデン・ベアラー組にベルトを明け渡している。


世界タッグ選手権

 続くタイトルは1965年12月、テネシー州メンフィスでヒロ・マツダと組んでザ・メディックス1号&2号からNWA世界タッグ選手権を奪取とされているが、実際にはNWA認定の肩書きは発見できない。しかも記録上は歴代王者に猪木&マツダの名はなく、猪木、マツダ組はザ・メディックス1号&2号に挑戦、1度はベルトを巻いたが、反則勝ちが含まれ、幻の王者になったと推測される。このタイトルは後にマサノブ・フチ&ミスター・オオニタ、ロックンロール・エキスプレス、フェビュラス・ワンズ、ザ・ファンタスティクスなどが獲得している。
 記録によると、ヒロ・マツダとのタッグで獲得したのは、テネシー州、アラバマ州をテリトリーとする世界タッグ選手権で、1966年1月24日、メンフィスでE・グラハム、S・スティムボート組を破り、第28代王者に就いている。王者のまま猪木は日本に帰国。現地では足を骨折のため王座返上と発表された。このタイトルは後にモトシ・オークマ&シンヤ・コジカ組が獲得している。
 帰国後、東京プロレスを旗上げした猪木はこのタイトルをNWA認定の世界タッグ選手権であるとして、マツダとのタッグで4度の防衛戦を行っている。