法政大学社会学部メディア社会学科 津田研究室



現代日本社会論/政治

『アカ』 『国家の罠』 『再軍備とナショナリズム』
『査問』 『「将軍」と呼ばれた男』 『戦後責任論』
『戦後的思考』 『田中角栄失脚』 『日本の公安警察』
『日本の無思想』 『野中広務 差別と権力』 『敗戦後論』

青木理(2000)『日本の公安警察』 講談社現代新書
 戦前の特別高等警察の流れを引きつぎ、共産党や過激派と「闘って」きた日本の公安警察。本書はその組織や捜査の手口など衝撃的な事実を明らかにしていきます。特に共産党に対するスパイ活動や盗聴、でっちあげなど、はっきり言って法律など関係ないような手口で取り締まりを行っていくわけです。共産党のイデオロギー的・組織的硬直を著した本としては、このコーナーでも『査問』をとりあげていますが、これだけやられたら組織防衛のために硬直するわなぁ、と思ってしまいました(まぁ、もとから硬直していたのかもしれないが…)。とくにびっくりしたのは、交番爆破というかなり思い切ったでっち上げに荷担した人物が、その後ものうのうと警察組織の内部にいた、ということですね。神奈川県警、新潟県警の失態といい、本当に「盗聴法」って大丈夫なのか?と思ってしまいます。あと、生き残りのための公安調査庁の内部文書もびっくりです。ジャーナリスト団体や市民団体まで監視の対象にしようとしているのだとか。うーむ、恐ろしや、恐ろしや。何はともあれ、めっちゃくちゃに面白いです。チョーオススメ、といったところでしょうか。(2000年)


魚住昭(2004)『野中広務 差別と権力』 講談社
 一時は「影の総理」とも首相候補とも言われながらも、小泉首相との政争に破れて政界を去った野中広務氏。本書は、野中氏の生い立ちから、中央政界への進出、そして自民党内部での暗闘を経て実力者へと野中氏がのし上がっていくも、頂点を前にして挫折していく様を描き出しています。野中氏が興味深いのはなによりも、被差別部落出身という不利益をむしろバネにして戦い抜いてきた人物だということです。野中氏はまず国鉄に就職し、そこで驚異的なスピードで昇進していくのですが、そこに差別という壁が大きく立ちはだかります。

「野中が部落民であるという話はあっという間に局内に広がった。野中の昇進ぶりをねたむ職員たちが『鬼の首でも取ったように」…騒ぎ、上司に対して『なぜ、野中をあんな高いポストにつけるのか」という抗議が一斉に起きた。」(p.59)

こうした差別は、日本社会の影として存在してきたものであり、また現在においても決して無くなったとは言い難いのが現状です。2003年の自民党総裁選の最中には、このような出来事があったそうです。

「自民党代議士の証言によると、総裁選に立候補した元経企長長官の麻生太郎は党大会の前日に開かれた大勇会(河野グループ)の会合で野中の名前を挙げながら、『あんな部落出身者を日本の総理にはできないわなあ』と言い放った。」(p.344)

 無論、野中氏はこうした差別に苦しむ単なる一犠牲者だったというばかりでなく、様々な権謀術数によって自己の権力を拡大していったのであり、それらに関しても本書では詳細に記述されています。とはいえ、なにより本書で印象深いのは、野中氏がまた国鉄に勤務していたときの売春宿でのエピソードです。野中氏とその友人は売春宿に無理に引っ張ってこられるのですが、そこで待っていたのは顔に大きなケロイド状の火傷を負った女性でした。その顔を見て慌てて帰ろうとする友人を野中氏は「男やないで、いったん上がって、顔見て帰るなんて馬鹿なことできるか」とはねつけ、女性に向かって「あんた気の毒な目にあわれたな。戦災でそうなったんとちがうか」と言い、女性の苦労話に耳を傾けたのだそうです。そして、最後には「これから必ずいいことがあるからな」と女性に金を握らせたということです。三年後、その野中氏の友人は温泉宿で再びその女性と再会します。

「川端(野中氏の友人)は少し女と話をして引き揚げた。それっきりケロイドの女には会っていない。ただ、野中がその後、町長から府議、代議士と選挙に勝っていくたびに彼女の記憶がよみがえり、もしかしたら彼女の一念が野中を勝たせているのではないかと思った。
なぜなら別れ際に、彼女はそこにいない野中に両手を合わせて拝むようにしながらこう言ったからだ。
『あの人はきっと偉くなる。だって、私がこうやって毎日、あの人が出世してくれるように祈っているんだから。』」(p.62)

「闇将軍」野中氏というと、非常にダーティな政治家だというイメージがあり、実際にそういった側面があることも否定できないとは思います。が、そうした人物にこのようなエピソードがあるというのは、人間には様々な側面があるということを改めて思い出させてくれますね。(2006年8月)

大嶽秀夫(2005)『再軍備とナショナリズム』 講談社学術文庫
 以前から僕が抱いていた疑問に、なぜ日本の改憲派は戦前回帰的な主義主張を掲げるのだろうか、というものがあります。つまり、改憲によって日本の防衛力整備の法的な土台を確固たるものとしたいのであれば、まずは戦前の国家体制を明確に否定し、リベラリズムに基づく政治体制を堅持・拡張することを打ち出せば、より広範な支持を獲得できるのではないか…と思っていたわけです。ところが、実際に改憲に積極的な政治勢力から聞こえてくるのは、やれ教育基本法の改正だの、憲法に国民の義務を盛り込めだの、「自虐史観」批判だのといった、「ああ、戦前の国家体制が大好きなのね…」というような声ばかり。もちろん、そうした伝統主義的な保守勢力のほかにも、リベラルな改憲派がいることは承知していますが、どうも改憲派の大勢を占めているとは言い難いように思うわけです。
 そういう疑問を持っていたところ、本書を紐解くことで疑問のかなりの部分が氷解しました。本書は、第二次世界大戦後の日本における再軍備をめぐる政治過程を分析し、そこで防衛問題と様々なイデオロギー対立とが結びつくことによっていびつな政治対立の構造が生み出されたことを明らかにしています。たとえば、筆者は以下のような指摘を行っています(p.45)。

 「日本の防衛政策(は:引用者)…、西ドイツの場合とは違って、常に右傾化の要素をはらんでおり、『国防意識』の昂揚を通じて伝統的価値体系を強化しようとする機能をになわされてきた…」

 本書ではこうした観点から、吉田茂や芦田均、石橋湛山や鳩山一郎といった政治家の再軍備に関する主張を分析し、戦前において軍部と折り合いの悪かった自由主義者たちが再軍備の積極的な担い手となったことや、社会(民主)主義陣営の内部にも防衛問題をめぐる根深い対立が存在していたこと、さらにはその対立を複雑なものとした要因として政治文化の相違(リベラルな近代主義と土着の伝統主義の対立)などが存在していたことなどが論じられています。
 なお、本書は1988年に出版された書籍の文庫版ですが、現在の政治状況を考えるうえでも極めて示唆に富んだ一冊だと言えるでしょう。(2006年6月)


加藤典洋(1997)『敗戦後論』 講談社
 アジア太平洋戦争におけるアジアの2000万の犠牲者を弔うためには、300万の日本の死者を弔わなければならない、という主張が大変な反響と批判を生んだ、話題の書。戦後日本社会の改憲派と護憲派の「ねじれ」を指摘し、双方が立ちたがる奇麗な場所ではなく、汚れた場所からの出発を促しています。ラディカルな側からは「ナショナリズムの復活」とかいう批判がなされていますが、そういう次元でこの本を捉えるのがそもそも間違っているような気がします。うまく表現出来ないのですが、加藤さんの位置はもっと遠くにあると思われます。が、やはり、わかったようなわからないようなという感じがするのも確かです。加藤さんは大岡昇平の小説をひき、300万の弔いから2000万の弔いへ、というように論じるわけですが、果たしてそのような方向へと動くのでしょうか?と、まぁ、いろいろと疑問があるのも確かですが、共感するところも多く、戦後日本社会を考える上では必読の文献になったと言えるでしょう。 (1999年)

加藤典洋(1999)『日本の無思想』 平凡社新書
 大きな反響を呼んだ『敗戦後論』をより分かりやすく論じたのが本書です。内容としては、戦後日本の政治家の「失言」の問題を取り上げ、敗戦国での「ホンネ」と「タテマエ」がどのようにして構成されているのかを論じています。戦後日本における護憲派と改憲派の「ねじれ」は、その両方ともが「正しく」また「間違っている」という「真」に対するニヒリズムを引き起こしてしまいました。つまり、双方の主張がしっかり向き合っていないために、「タテマエ」と「ホンネ」が相対的な「真」として入れ替わり立ち代わり現れ、それが政治家の「失言」に繋がっているというわけです。うーむ、これだけではちょっと分かりづらいですね。詳しくは本書を読んでいただくしかないです。ちなみに、個人的に僕が加藤さんに非常に共感できるのが、公共性なるものは私利私欲から切り離すことは出来ないと論じている点です。「私」と「公」をいたずらに二項対立的に扱う論が多いなか、こうした加藤さんの見解には拝聴すべきものが多いように思います。(1999年)

加藤典洋(1999)『戦後的思考』 講談社
 『敗戦後論』で左右から袋叩きにあった加藤さんがそうした批判に答えて出してきたのが本書です。特に革新側からのバッシングはすさまじく、僕もいくつか目を通しましたが、例の「自由主義史観」と加藤さんの議論を同列に論じているものもあり、それはいくらなんでも加藤さんが可哀相だと思ってしまいました。僕が思うに、加藤さんの革新側に対する問いかけは極めて重く、これを正面から受け止めない限り、革新側の議論は一般の人々からますます乖離していく一方なのではないでしょうか。つまり、革新側の言っていることは限りなく「正しい」わけですが、そうした綺麗な誤りなき地位から戦争犯罪を一方的に断罪するだけでは意味がないということです。また、脱国民国家論に対する問いかけも重要だと思われます。日本が国民国家として犯した過ちを清算しないままに、勝手に国民国家を「脱構築」したところで、周囲は果たして納得するのだろうか、ということです。もちろん、僕は「脱構築」的な議論の意義も認め、(特に日本ではそういう傾向が強いにせよ)攻撃対象を無くした左翼の新たな攻撃目標が国民国家であるという加藤さんの見解には賛成しないわけですが、少なくとも僕が(僕自身の意図はどうあれ)海外ではまず「日本人」であり、「日本」という国家を背後に持った存在だと見なされる以上、加藤さんの疑問はもっともでしょう。これは、どっかの右翼の漫画家みたいなナショナリストになる、ということとは全然違うことなのです。本書の内容に戻れば、これまで分かりにくかった加藤さんの主張がかなり明確になってきました。ただし、まだまだ「わかったような、わからないような」という点も多く、これが加藤さんに対するバッシングの一因になっていることは否めないように思われます。また、ルソーからドストエフスキー、ヘーゲルに至る私利私欲に関する議論について、私利私欲から公共性へのルートがいかに切り開かれるのかという点がいまいち明確でないような気がします。ともあれ、全体としては、戦前と戦後ということに関してかなり深いところまで考えている論考だと言えるでしょう。とはいえ、高橋哲哉『戦後責任論』と併せて読むと、加藤さんの議論の矛盾点なども明らかになってきます。(1999年4月)

川上徹(1998)『査問』 筑摩書房
 70年代初頭、日本共産党内部で民青(日本民主青年同盟)幹部を中心に「査問」(要するに取り調べ)が行われた。「容疑」は彼らによる分派活動(共産党を分裂させようとする活動)。果たして、本当に分派活動は行われたのか?そうでないのならば、一体どういう背景のもとでこの「事件」は起こったのか?実際に、「査問」を受けた筆者の経験とその後を非常に興味深く描いています。こういう本がPHPだとか、文芸春秋だとかから出版されるなら話半分というところなのでしょうが、筑摩から出ていることが興味深いですね。イデオロギー的に硬直化した組織というものがどのように動いていくのかが本当によく分かる本です。 (1998年)

川上徹(2002)『アカ』 筑摩書房
 60年代に共産党員として警察に検挙された筆者、そして30年代に「長野県教員赤化事件」において特別高等警察に逮捕された筆者の父。本書では、社会主義に惹かれたこの父子の物語が、お互いに重なり合あいながら展開していきます。ある特定の思想を持つだけで「罪」となった時代に生きた人々が、どのようにしてその思想に共感し、そして挫折していったのか。戦前、戦後を通じて、「支配」の側からも「抵抗」の側からも語られることのなかった無名の人々の歴史が綴られています。思想というものが揺籃期においてどのようにして人々の心を掴み、それがやがて体系化・ドグマ化することで硬直していくのか、ということを考えるうえではとても参考になる本ではないでしょうか。(2002年7月)

佐藤優(2005)『国家の罠』 新潮社
 鈴木宗男氏の側近として外務省で権勢を振るったとメディアに報じられ、検挙された外交官(2006年現在、休職中)の手による、非常に話題を呼んだ一冊です。わざわざこんなところで紹介せずとも既に多くの人に読まれているわけですが、やはり現代の日本政治を語るで外せない一冊ではないでしょうか。
 とりわけ本書は、近年、メディアによって盛んに用いられる「国策捜査」という言葉を世に知らしめたことが注目されます。「国策捜査」とは、要するに世の注目が集まっている人物(およびそれを取り巻く人びと)をささいな罪で検挙し、とりあえず有罪へともっていくような捜査だと言えるでしょう。この「国策捜査」については、次のような検察官と著者とのやり取りが記録されています。(p.287)

「これは国策捜査なんだから。あなたが捕まった理由は簡単。あなたと鈴木宗男氏をつなげる事件を作るため。国策捜査は『時代のけじめ』をつけるために必要なんです。時代を転換するために、何か象徴的な事件を作り出して、それを断罪するのです」
「見事僕はそれに当たってしまったわけだ」
「そういうこと。運が悪かったとしかいえない」

 このやり取りのあと、「国策捜査」の基準は、検察ではなく、週刊誌とワイドショーの論調に左右される世論が作ることなどが論じられ、マスコミ論的に言えば「モラル・パニック論」とつながるような見解が示されています。また、ナショナリズムについても触れられており、個人的にはなかなか興味深く読むことができました。(p.295)

「ナショナリズムには、いくつかの非合理的要因がある。例えば、『自国・自民族の受けた痛みは強く感じ、いつまでも忘れないが、他国・他民族に対して与えた痛みについてはあまり強く感じず、またすぐに忘れてしまう』という認識の非対称構造だ。また、もうひとつ特筆すべきは、『より過激な主張がより正しい』という法則である。」

 もちろん、あちらこちらで指摘されているように、この本自体が世論を味方につけるための「情報戦」の一手段である可能性は否定できないものの、非常にスリリングでなおかつ考えさせられるところの多い著作であることは否定できません。とりあえず、未読の方には一読することをお勧めします。(2006年9月)

塩田潮(2002)『田中角栄失脚』 文春新書
 「今太閤」と呼ばれた田中角栄首相が、『文芸春秋』に掲載された立花隆「田中角栄の金脈と人脈」、児玉隆也「淋しき越山会の女王」という2本のレポートによって失脚するまでを扱ったノンフィクションです。時の最高権力者とジャーナリズムとの関係を扱った本であり、その手のテーマに興味がある人にとっては非常に面白い一冊だと思います。小説にたとえれば、主役(田中角栄)だけでなく、準主役(立花、児玉)や脇役の人物像までしっかり書き込まれた作品と言えるでしょうか。正直、僕が生まれるか生まれないかぐらいの時期に田中角栄は首相だったわけで、恥ずかしながら、これを読むまで田中首相の失脚に関して勘違いしていた部分がかなりありました。そういう意味でも、非常に勉強になりました。塩田さんの著作は他に1冊(『東京は燃えたか』PHP研究所)しか読んだことがないのですが、かなり読ませる文章を書く人だと思います。(2003年3月)

高橋哲哉(1999)『戦後責任論』 講談社
 いわゆる「自由主義史観」や加藤典洋さんの『敗戦後論』への反論として提出された、日本の戦争責任のあり方についての著作です。特に、後者の議論に関しては極めて厳しい批判を行なっており、これを読めば加藤さんと高橋さんとの間の争点がかなり明確に見えてきます。僕自身の感想を述べれば、議論の「完成度」としては高橋さんの方が上です。理路整然とした議論を展開し、加藤さんの議論の矛盾点を明確に示しています。そしてそれゆえに、この論争は加藤さんの方に分があると僕は判断しました。なぜなら、加藤さんは「日本は悪いことをした、しかし、戦争での死者を戦争責任で裁くのはいやだ」という、多くの日本人が抱いているであろう矛盾した感情と正面から取り組んでいるからです(だから矛盾点が生じるのだとも言えるでしょう)。確かに、高橋さんの議論は加藤さんのそれよりも高い完成度を示しています。そして、それゆえに、その体系の内部で完結した、現実との接点のない議論になってしまっているのではないでしょうか。たとえば、高橋さんは「自由主義史観」のような動きと「対決するしかない」と述べています。僕も対決の必要性は認めます。しかし、高橋さんのようなやり方で果たして勝利する見込みはあるのでしょうか?突き詰めて言えば、高橋さんのこの本と『教科書が教えない歴史』あるいは(組織買いの噂があるとはいえ)『国民の歴史』のどちらがたくさん売れているでしょうか?そうした現実と組み合うことなく、レヴィナスやデリダを持ち出して議論を完成させることに甘んじていてよいのでしょうか?そうした「正しさ」に立脚するよりは、数多くの矛盾点をはらみながらも、現実とより向き合っていこうとする加藤さんの立場に僕は共感を覚えます。高橋さんは加藤さんを「自由主義史観」の連中と同じ「ナショナリスト」に仕立て上げようと頑張っているわけですが、そのようなカテゴリー分けに固執することで、加藤さんの議論の重要性をつかみ損なっているのではないでしょうか。さらに憲法に関する争点について言えば、高橋さんの議論は「護憲」ということに固執するあまり、反民主主義的になってしまっています。僕もいわゆる「護憲派」に属するものだと思っていますが、高橋さんとは異なり「国民の選択の結果による第9条の破棄」ということには反対しません(「第9条の破棄」には反対です)。それが正当な手続きに基づく決定であるならば、たとえその決定に反対であろうともそれに従うのが、民主主義政体を生きるということなのだと思っています(もちろん、思想・信条まで多数派に合致させる、などということではありません)。というわけで、かなり厳しい評価を下してしまいましたが、確かに加藤さんが答ええるべき疑問点も提出されており、この論争に興味のある人はぜひ読むべき本でしょう。とくに「自由主義史観」に対する批判は参考になります。(2000年4月)

玉木明(1999)『「将軍」と呼ばれた男』 洋泉社
 ベトナム戦争報道で国際的にその名を轟かせた報道写真家、岡村昭彦の生涯を通じて戦後日本社会やジャーナリズムのあり方を論じているのが本書です。本多勝一、開高健らとの対比から岡村を突き動かしていた「公」という精神のあり方を明らかにしていきます。ただ、勘違いしてはならないのが、著者自身が述べているように、本多や開高の「私」という立場を批判しているわけでは決してないということです。むしろ、彼らの限界は「私」という立場に徹しきれなかったところにあり、また、岡村の問題とは「公」と「私」を繋ぐ回路を見つけ出すことが出来なかったところにあると著者は指摘しています。この本は、ここでも紹介している加藤典洋さんの本と一緒に読むと、より戦後日本社会の問題点が浮き上がってくるような気がします。 (1999年)