【清泰寺】
(せいたいじ)
 
大間木氷川神社から道標の方向に200m位進むと、右手に清泰寺があります。
清泰寺には見性院の墓があり、その門扉には大きな葵の御紋が彫られています。

 
清泰寺と見性院の墓
写真写真

 
【歴史】
「清泰寺」

清泰寺は、天台宗の寺で慈了山覚源院といい、平安時代初期の高僧慈覚大師円仁(延暦寺三世座主)によって開かれたと伝えられている。本尊は十一面観音立像(秘仏)で、江戸時代初期の作とされている(浦和市指定有形文化財)。
境内に並ぶ351基の庚申塔は、天明三年(1783)と万延元年(1860)に建てられたもので、一括して浦和市指定有形民族文化財になっている。また、ここにある武田信玄の娘見性院の墓は埼玉県の旧跡に指定されている。
見性院は、穴山梅雪(武田の武将)の妻であったが夫の死後、徳川家康の知遇を得、大牧村を菜地として与えられていたが、元和八年(1622)没して清泰寺に葬られた。見性院が養育した二代将軍秀忠の子幸松丸(後の会津23万石の城主保科肥後守正之)は三代将軍家光を補佐し幕政で活躍した。
また、本堂須弥壇に安置されている有泉勝長木碑も浦和市指定有形文化財である。有泉家は勝長の弟五兵衛が大牧村に居住し、子孫累代見性院の墓所に奉仕したといわれている。

(清泰寺の掲示板から)

 
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