【高沼用水取り入れ口】
(こうぬまようすいとりいれぐち)
 
北袋河岸場跡から見沼代用水西縁沿いに北に進みます。すると、高沼用水取り入れ口につきます。
コンクリートに固められた用水路は、見沼代用水もそうですが、やっぱり味気ないですね。

 
高沼用水取り入れ口
写真

 
【歴史】
高沼用水

見沼代用水西縁は台地と低地の境に沿って流下しています。流下しながら周辺の水田を灌漑するため、各地に分水路が掘られ、きめ細かく水を配分しています。大宮市内では見沼代用水東縁に加田屋分水、西縁に砂村分水とこの高沼用水が設けられています。
高沼(鴻沼)は、下落合(与野市)から鹿手袋(浦和市)にかけてあった江戸時代の沼のことで、沼の水は下流域17か村の灌漑用水として用いられていました。沼を干拓して新田とするため、江戸時代中期の享保14年(1729)に幕府の井沢弥惣兵衛為永は、見沼代用水路の竣功後に、西縁から分水する新たな水路を開き、与野及び浦和市西部地区の灌漑用水にあてました。これが当地から西へ流れる高沼用水路です。
高沼用水路は、吉敷町と北袋町の台地をV字形に切り開き、中山道の高台橋から旧大宮操車場下へ流れ下っていましたが、今では台地部分のほとんどが暗渠となり、昔の面影は失われてしまいました。
当地周辺は、水田、用水、見沼の斜面林が三位一体となって緑多き見沼の風景を永らく保ち、周辺の子供達の遊び場になっていましたが、減反政策による水田の消滅、用水路の改修工事、住宅の造成により過去のものとなってしまいました。
〜お問い合わせは〜
大宮市教育委員会社会教育課
TEL:048−647−8268(直通)

(高沼用水取り入れ口の掲示板から)

 
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