氷川女体橋をはさんで氷川女体神社の反対側に見沼氷川公園があります。 公園内には、磐船祭祭祀遺跡、ハーブガーデンなどがあります。 また、公園の入口近くには、「案山子」の記念碑が建てられています。 山田の中の一本足の案山子 天気のよいのに簑笠着けて 朝から晩まで立ちどおし 歩けないのか山田の案山子 と尋常小学校唱歌に歌われたこの歌は、見沼で出来た歌だそうです。 |
【歴史】 「氷川女体神社磐船祭祭祀遺跡」
氷川女体神社のかつての最も重要な祭祀は御船祭でした。しかし、享保十二年(1727)の見沼干拓によりそれが不可能となり、代わりに社頭の旧見沼内に柄鏡形の土壇場を設け、周囲に池をめぐらし、ここにその祭祀を移して行なうことになりました。それが磐船祭です。実際にここで祭祀が行われたのは江戸時代中期から幕末ないしは明治時代初期までの短い期間ですが、その祭祀は見沼とは切り離せない古来からのきわめて重要なものです。 この遺跡は保存状態も良く、また、これを証すべき文書や記録も残されており、史跡としての価値が高いといえます。 面積 3971平方メートル 祭場(四本竹跡) 径30メートル 御幸道 長さ65メートル なお、昭和五十七年度に、復原整備事業を実施しました。 (磐船祭祭祀遺跡の掲示板から)
【解説】 「案山子発祥の地」
この地が、尋常小学校唱歌「案山子」のふるさとである。国定教科書の編さん官であった武笠 三が、他のいくつかの唱歌と共に作詞した。彼こそ、ここ三室に生まれた人である。かつて1200ヘクタールの沼であった見沼は江戸中期に干拓され、稲穂がたわわに稔る田園となった。作詞者の感性を育んだ光景である。唱歌のふるさとを浦和市民の誇りとして永く伝えようと「つくる会」を結成し、多くの市民のご協賛のもとに記念の碑を建立した。 唱歌「案山子」発祥の記念碑をつくる会 (「案山子」の記念碑から) |