フリーマンの随想

その72. なぜイタリアに行く?


*美酒、美食、美海、美術の国への讃歌*

( June 18, 2006 )



 私が会社をリタイア してからイタリアへの旅行は、 すでに6回、のべ70日近くになります。  若い頃とは比べ物にならぬほど物覚えが悪くなった頭に鞭打ってイタリア語の勉強に励んだり、とにかく、 イタリアにはおおいに 「 はまって 」 いて、特に 「 イタリア個人旅行 」 は私のリタイア後の生活の中で、 毎夏の重要な年間行事になってしまいました。

 今年も7回目のイタリア旅行を6月上〜中旬に計画していましたが、 母の健康状態が思わしくないので急遽中止しました。 本当なら、今頃、 長靴の 「 かかと 」 から 「 くるぶし 」 の部分 ( プーリャ州、バジリカータ州 ) の小さな町々を、 電車やバスを乗り継ぎながら13ほど訪ねて1週間うろつきまわった後、 あの憧れのシチリア島を8日間かけ一回りしているはずでしたのに・・・  というわけで、この文章も、半ば 「 鬱憤晴らし? 」 で書いています。  長靴の足の部分一帯は、イタリアの中では最も貧しく辺鄙な地域ですが、古い珍しい文化遺産がたくさん残っていて、 大変に魅力的な地方なのです。

 国内旅行だって同様ですが、海外でも 「 個人旅行 」 というのは、 旅行社主催の 「 ツアー旅行 」 とはまったく違う種類の旅です。  どちらも一長一短ですが、言うまでもなく、個人旅行ならば現地での旅程の選択や変更の自由度は大きく、時間的な ゆとり は、 その気にさえなれば幾らでも作れるかわりに、交通手段も観光も食事も、すべて自分ひとりで計画し実施するので、 常時非常な緊張感と努力を持続していないとなりません。   「 緊張感と努力を持続しながら、なお精神的・肉体的に旅を楽しめる自分でありたい・・・ 」 という意欲が、 私にとっては 「 加齢への抵抗 」 の原動力だと、ちょっと理屈っぽいけれど、考えています。

 理屈っぽいと言えば、イタリアが 「 好き 」 な理由を考えてみようというこの企て自体、理屈っぽいわけで、 「 好き嫌いに理屈なんか要らない。 好きは好き、嫌いは嫌い! 」 という人も多いことでしょうが・・・

 話を戻しますが、残された地域(*1)を、あと3回ほどの旅で回り、ほぼイタリア全土を制覇する頃には、私も気力的、体力的に、 イタリア をついにリタイア すべき年齢になるのではないかという気がしています ( ツアー旅行なら、その後もさらに数年は出来るかと思います )。

 さて、私がイタリアを何故そんなに気に入っているかという理由ですが、

 (1) 先ずは、私が胃が丈夫で食いしん坊だからです。 何と言っても冷えた地元産の白ワインと、 様々な美味しい ( 特に魚介類の ) 料理と多様なパスタを存分に味わいたいからです。  ワインはその土地でその土地の料理とともに飲むに限りますね。  日本で同じものを飲んでも、それほど旨くありません (*2)。  この点は 「 女性の魅力 」 について もまったく同様だと言う人もいますが・・・私には何のことか全くわかりません。

 ツアー旅行では、超高価な豪華ツアーでもない限り、「 絶対に 」 と断言してよいほど、美味しい食事は提供されません。  その証拠に、イタリアにツアー旅行してきた人に 「 どう?本場のイタリア料理、おいしかった? 」 と尋ねたら、 ほとんど100%、「 イヤー、まずかった! 」 と答えるはずです。

 団体客用の料理は、作り方も提供の仕方も、 個人客用の料理とは全く違うように、私には思われます。 これが、どんなに芯が疲れ、時にはつらくても、 私が原則的に個人旅行でしか海外に行かない最大の理由かもしれません。  でも、個人客なら必ず美味しい料理を食べられるかというと、もちろん、そんなことはありません。  私が美味しい食事を選ぶコツについては、最後のほうに詳しく書きます。

 (2) 次が大小さまざまな古い教会や付属施設の建物と、各地にある美術館の参観です。  私はいつも非常に不思議に思うのですが、 日本人の私が奈良や京都で上質な社寺や仏像や庭園を観て深く心を打たれるのは当然としても、 それと同様の深い感動が、なぜイタリアの寺院の聖堂や修道院の回廊で湧いてくるのでしょうか。  フランスやスペイン、ポルトガルでも、程度はやや小さいが、同種の感動にしばしば出会います。

 もっと不思議に思うのは、地理的、歴史的、文化的に、イタリアよりは遥かに日本に近いはずの中国や台湾やタイの寺院では、 そういう気持がほとんど全く、私には起こらないのです。 ほとんど感動しないばかりか、しばしば違和感をすら覚えるのです ( 台北の故宮美術院でだけは例外的に非常に感動しましたが )。  いったいなぜなのでしょうか。 皆さんはどうなのしょうか?

 この不思議について、ある日、長いこと考え続けました。 そして得た、自分なりに納得の行く結論は次のようなものでした。  「 私は、珍しい風物でもなく、異国的な情緒でもなく、宗教的な厳粛さでもなく、古い歴史の重みでもなく、 ひたすらに美、美術性、芸術性を求めており、それに向い会うことで感動している 」 のです。  「 私 ( の感性 ) にとって より美しく、より芸術的と感じられるものに、 より多く巡り会い、より多く感動したいので、 それを最も頻繁に果すことができる美と芸術の国イタリアを私は訪れる 」 のです。  そう考えれば、上記のすべてが、すっきり納得できます。

 (3) 3番目はというと、抜けるように 「 マッサオ! 」 な空と海、そして美しい樹木や花々です。  この 「 青 」 でもなければ 「 蒼 」 でも 「 碧 」 でも形容しきれない、 イタリア語の AZZURRO でしか表現できないあの海の色ばかりは、 なぜか日本の近海の海では絶対にといってよいほど見られない美しい色です。

 この不思議な青さは、氷河や鍾乳洞から流れ出る川の水が、 石灰石の微粒による光の散乱のために青く見えるのと同じ理由によるものではないかと、 私は想像しています。 イタリアの海岸線の大地は、ほとんど石灰岩で成っているからです。  でも、正しい解釈かどうかの責任は持てません。 ともあれ、そういうわけで、私は大抵、雨が降らず、陽射しが明るく、 花も盛りの5月末から6月にかけてイタリアに出かけて行くのです。

 話が脱線しますが、中学生の頃、英語の時間に 「 ジューン ブライド 」 という言葉を教えられたとき、「 6月なんて、 雨の多い、じめじめと蒸し暑い時期に、なぜ西洋人は結婚式を挙げたがるの? 」 と、私は不思議でなりませんでした。  実は、欧米の多くの国では6月は一年でいちばん雨の少ない、さわやかで、それほど暑くもなく、 バラなどの花々も満開の素晴らしい季節なのです。 先生がそういう背景まで説明してくれれば良かったのに・・・

   (4) 次が、イタリア人の良い友人がいることです。 在米中、同じ町に住んでいて夫婦単位で親しく付き合い、 一緒に奉仕活動にも参加していたガスパリーニ氏夫妻は、すでにミラノに戻っていますが、奥さんのルチアーナは、 毎年カホルの誕生日に、わざわざお祝いの国際電話を掛けてきてくれます。  8年前、イタリア旅行中カホルが心筋梗塞で倒れたときも、ご夫婦で駆けつけてきて何から何まで親切に世話をしてくれました。  命の恩人ともいえるほどです。 そしてタイヤや送電用ケーブルで有名なピレリ社の幹部技術者だった夫のジョルジオ氏は、 第一線を引退後の今は、せっせとジョークを創作しては私にメールで送ってくれるのです。

 正直に申し上げると、彼らご夫妻に会うまでは、私はイタリアなんて、欧州の2等国、国家財政は破産寸前、生活は貧しくて、 治安は悪く、道徳は乱れ、人々は怠け者で、男は女たらしには精を出すが、仕事はいい加減・・・そんな程度の認識でした。

 ところが、彼が北部ミラノのビジネス・エリートの一人だったこともありますが、ジョルジオ氏などは、 当時 ( バブル期 ) の日本人すら顔負けのモーレツな勤勉さでした。 それがご夫婦の誠実な人柄とあいまって、 私のイタリアに対する認識を一変させてくれたのです。

 (5) 圧倒的に違う鼻梁の高さは別として、私 ( 170cm、76kg ) は、 米国人 ( の一部 ) や英・独・北欧人などに対してとは違い、 イタリア人に対しては、肉体的にほとんど落差を感じないで済みます ( スペインやポルトガルでも同様ですが )。

 話はそれますが、その程度の小さな差なんですが ( 或いは、そうだからなのか )、なぜか、 イタリアに旅行したり留学したりした若い日本人女性が、イタリアの男性どもに魅せられて結婚し住み着くという現象が、 最近激増しているらしいのです。 これが日本の少子化の原因の一つだという学者もいるので ( これは嘘 )、 さらによくこの現象の原因を考え、究明して見たいと考えますが、残念ながら今日のところは割愛します。

 (6) 現在では、国家財政の赤字の点でも、社会的インフラの面でも、イタリアより日本の方が劣ってしまったと、 最近の新聞にも書いてありましたが、治安の面でも、役人の汚職の点でも、日本はこの10年、はっきり悪化しているのに、 イタリアでは、それらがむしろ顕著に改善されつつあるようなのです。  イタリアでは、スリや引ったくり、つり銭のゴマカシなどは日常茶飯事ですが、 凶悪犯罪は日本より少ないのではないかと、私は感じています。

 たとえば、4回目のイタリア旅行のとき訪れたナポリの街は、1994年のサミット開催を機に、 市長以下全市民が努力した結果、見違えるように安全になっていました。 あの悪名高いナポリのほとんどすべての地域 (*3) を、 私は一人で4日間、昼夜の別なく歩き回り、乗り回り、カメラを持って写真を撮り続けても何も起きずに済んだのです。  私が若い女性ではなく、ただの爺さんだからだとも言えますが、もちろん、それなりの工夫と努力は必要でした。  とっておきの防犯の工夫については、あとの方で公開します(*4)。 もちろん、街なかにあふれる投棄ゴミと犬の糞は、 相変わらずでしたが、隣のカプリ島などでは、日本の観光地以上に清潔で、ゴミ一つ落ちていませんでした。

 私がイタリアが好きになってしまった主な理由は以上です。  次に、今回、南イタリアへの旅行プランを作るために半年も前から図書館で読み漁った20冊ほどの本の中から、 とくに良かったものを列挙しましょう。

1.キッシング著・小池滋訳: 「 南イタリア周遊記 」 岩波文庫

2.陣内秀信: 「 南イタリアへ! 」 講談社現代新書

3.タカコ・半沢・メロジー: 「 イタリアは南が楽しい! 」 知恵の森文庫

4.池田匡克・池田愛美: 「 シチリア 美食の王国へ 」 東京書籍

5.小森谷慶子・小森谷賢二: 「 シチリアへ行きたい 」 新潮社


 このうち、1.は、120年ほど前に一人の英国人の小説家が、南イタリアに物好きな 「 憧れの独り旅 」 をしたときの紀行文で、 何となく今の私の旅と重なる思いがします。 しかし、当時この地方は、マラリアや熱病が流行る、 現在では信じられないような極貧と非衛生と崩壊に満ちた 「 絶望の地 」 だったことがわかります。  あの E・コールドウェル の 「 タバコ・ロード 」 に描かれた100年ほど前の米国南部の農村の悲惨な生活を彷彿とさせます。  もちろん、明治時代の日本の都市や農村のあちこちでも、これらと似た惨めな生活が見られたと思います。

 この紀行文の記述と、現在のイタリア南部ののどかな暮しとを比べると、その大きな差は実に興味深く、 何だかんだと為政者や社会制度を批判することは容易ですが、 先進諸国では 『 民衆の生活が、この百数十年の間に、 徐々に、しかし驚くほど改善されてきている 』 というのは、争えない事実です ( 日本でも、もちろん全く同様です )

 一方、4.は世界的に有名な現在のシチリアの美味についての本で、 実に旨そう〜に撮れている100枚以上の料理の写真に感動した私は、 本を返却した後、改めて自分で同じ本を買い直し、妻の呆れ顔を気にもせず、舌なめずりしながら、 何度も何度もじっくりと見なおし、傍線を引き、その詳細を頭に叩き込みました。

 ただし、それを食べるために現地でどのレストランを選ぶかについては、 ガイドブック類やインターネットに溢れている情報はほんの参考程度にとどめ (*5)、 当日、ホテルのコンシエルジュなどのしかるべき現地人に 「 私は高級でなくて良いからとにかく旨い店で食べたいの。  最近はどこが評判がいいの? 土地の食通はどこで食べるの?  貴方は旨いものを食べたいとき、 どこへ行く? 」 などと質問して、その人に電話を掛けて紹介してもらうという、例年の私流の方法が最善だと思います。  この方法は、イタリア、スペイン、ポルトガルあたりでしたら、誰にとってもおそらく90%以上、満足な結果を与えます。

 余談の1: こういうとき、たとえ4☆、5☆のホテルでも、コンシエルジュに、「 当ホテルのレストランこそ、この町で一番です。  どうぞご予約ください 」 と言われたことが一度もないのが、私には不思議でなりません。  日本人ほど愛社精神がないのか、非常に職務に忠実で正直なのか、その辺が良く分かりません。

 余談の2: 米国のレストランでは、上記のやり方をしても、しばしば失敗します。  私は、米国在住中、日本からの賓客をもてなす時、 レストランを選定し予約する前に 「 今晩は誰が調理するの? 」 と秘書に担当シェフの名を毎度確認させてから選んで決めていました。  また、1996年に大変感心したシアトルのある高級レストランに、翌々年、期待をもって再び訪れたとき、ひどい失望を感じ、 改めて 「 なんと米国らしい! 」 と呆れ果てたことがあります。

 米国の調理師の資格はどうも日本より甘いように思えてならないのですが、それだけが理由ではありません。  ちゃんとした日本のレストランや料理屋のような 「 たとえシェフのチーフが病気で休んでも、急に退職しても、 その店の伝統の味と品質がしっかりと保たれ、継承されるように、 普段から弟子たちをしっかりと教育訓練しておく 」 という考えが全く欠如しているらしいのです。  同じレストランの同じ名の料理でも、担当シェフによりひどく味が違うのです。

 この点ではイタリアは日本にだいぶ近いようです。 とは言え、米国ほどひどくはありませんが、 ある人や本が 「 良かった 」 と推薦する言葉を信じてそのレストランに行って落胆したとしても、 それが推薦者の責任とは言い切れないというケースが十分にあり得ると思うのです。

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(*1) これらの地域への旅行が終われば、イタリアの主な地方や都市で、まだ訪ねていないのは、 「 土踏まず 」 から 「 つま先 」 にかけてのカッラーブリア州、最西北部の数州 ( 冬季オリンピックのトリノ市を含むあたり ) 、 それに地中海に浮かぶサルディニア島くらいになります。

(*2) どうしても持ち帰って日本で飲み直したいときは、割高ですが、そのレストランで支払い時に1本買い求めることです。  喜んで売ってくれます。  あとで近所の酒屋で探して買おうとしても、まず見つからず、貴重な時間を無駄にするだけです。

(*3) ただし一番危険だといわれているクァルティエリ・スパニョーリ区域にだけは、 見るべきものも無いので一歩も近づきませんでした。

(*4) 先ず身なりを質素にします。 たとえば高価な腕時計は外して古い安物を身につけます。  小型の布製のリュックの蓋には南京錠がついていますが、中には安物の老眼鏡、地図、ペットボトル、電池等しか入れません。  日本人旅行者が愛用する腰に巻くタイプのウェストポーチは非常に無用心なので用いません。

 クレジットカードと高額紙幣は下の写真のようにズボンのすその裏に取り付けたジッパーつきの布袋にしまいます。  ズボンの右ポケットには、500円程度のコインか小額紙幣が裸で入っています。  これだけあれば、地下鉄の切符を買う際に出札口で財布を取り出して開けるような危険な行動はしないで済みますし、 万一掏られても諦めがつきます。

 レストランで食事の後、椅子に座ったまま、クレジットカードやチップ用の紙幣を、 他人の目につかないようにズボンのすそから取り出すことは、テーブルクロスのおかげで容易です。  支払った後、レストランを出る前にはトイレ ( 大 ) に入り、カードや残りの紙幣はもとに戻します。  同時に小便を済ませれば一石二鳥です。 大量の水とワインを飲んだ後なので、帰途必ず尿意を催すからです。

 スリを 「 からかう 」 くらいの心のゆとりも持てるようになりました。 上記のように小銭はズボンの右ポケットに入れますが、 私の右ポケットの底にはジッパーがあり、それを開けるとその下には更にもう一つの深〜いポケットがついています。  満員の電車やバスに乗る前に、周囲に見えるように紙幣を紙の封筒 ( A ) にしまい、この2段ポケットの底に落します。  ところが、上部の普通のポケットの部分には、事前に同質の紙封筒 ( B ) におもちゃの紙幣を入れたものが入れてあるのです。  満員の乗物で押し合いへし合いして降りると、大抵の場合、( B ) はなくなっています。  イタリアのスリの腕前もなかなかのものです。 彼らの主な攻撃の時期は乗り込むときか降りるときですが、 いま来るかもう来るかと意識を集中していると、すられる瞬間はたいてい分かりますが、周囲の誰がスリかは、まずわかりません。

 パスポートはどこに? カメラは? 申し訳ありませんが、これ以上の極秘の工夫と細工は、まだ特許を申請していないので、 本日の所は割愛させていただきます。

(*5) ガイドブックの情報は、一般に考えられている以上に、無責任だったり、古かったり、間違いがあったりします。  過信は後悔のもとです。 では、インターネットにあふれている旅行体験談はどうでしょう。  海外旅行時の食事体験を詳しく書き込んでいるのは、殆どが若者たちです。  当然のことながら彼らに 「上質な料理の味覚体験 」 が豊かであるとは思われません。  彼らが上質な ( 高級なではない ) リストランテに行くことも多くはありません。 だからインターネットの情報は鵜呑みには出来ません。  私も若い頃は 「 ちょっと旨い 」 程度のものを食っただけで大感激していましたから・・・。

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