フリーマンの随想
もうそろそろどなたの頭の中でも、旧聞になってしまっている話です。 老いも若きも、日本中の皆が、 来年の1月にまたひと騒ぎ起きるまでは、誰も話題にしようとしない、あの 「 成人式 」 について、再び書いてみたいと思います。 あたかも年中行事のように、毎年1月の半ばには日本のあちこちで問題が起き、騒がれ、そして半月ほどで忘れ去られ・・・と、 いうことがもう10年以上も繰り返されてきています。 これに限らず、どんなことも、根本的に解決しようとはせず、騒ぎ、心配し、 そして結局放置し、また問題が出て・・・というのが、日本的なお決まりのパターンではありますが、 このパターンが、成人式の問題でも、毎年繰り返されているのです。 自治体の関係者の皆さんも、来年何かあったら、またそのとき・・・なんて考えていないで、今のうちから、 一緒になって真剣に考えて欲しいと思うのです。 3年前、やはり全国で色々と成人式にまつわる 「 事件 」 があった後、私は、自分の住む市で成人式を計画し実行している 責任者の方に、丁重な長文のお手紙を差し上げ、今後の成人式のやり方の改革につき、 提言を行いました。 しかし、返事らしい返事はいただけぬまま、今に至っています。 脱線しましたが、今回は、論点を簡潔に箇条書きにします。 同じ人間が言っているのだから、基本的には、もちろん、前回の論旨と同じなのですが・・・。 1.どんな催しでも 「 何を目的に、誰のために、何をやるのか 」 と言う事が、一番重要であり真っ先に考えるべき事ではないでしょうか。 では、成人式の場合、成人たちはどんな成人式を欲しているかというと、 ただ、参加費無料の 「 同窓会 」 開催の場が欲しいだけなのですね。 ある新聞の調査だと、成人式は必要ないと有るとが、ほぼ半々だったそうで、 必要だという人は 「 仲間が集る場 」 として欲しいのだそうです。 学校の同窓会と違って、他の学校に行った人とも会えるからです。 それと、晴れ姿を皆に見てもらいたいという気持もあるでしょう。 その程度のことなのです。 「 意義ある 」 式典に参加し新成人として決意を新たにしたいなんて考える若者は絶無に近いでことしょう。 自治体の担当者だって、成人式が大いに意義ある行事だと考えている人なんて、多分いないのではないでしょうか。 旧友が久しぶりに会うのだから 「 べちゃべちゃおしゃべりするな 」 という方が無理なのです。 話し合いたくって仕方ないのです。 お喋りしたいためだけで出席したのに、クソ面白くもない挨拶など長時間聞いていられますか。 日ごろ 「 我慢 」 を教えられていない若者がほとんどだから、なおさらです。 2.では、誰が一番成人式をやりたがっているのでしょうか。 A:まず 「 やるのが前例だから 」、「 日本中どの自治体もやっているのに、この町だけ真っ先にやめるわけには行かないから 」、 「 予算が取ってあるから 」、「 急には止められない。去年までの人との間に差別が出来る 」 などと、 いくらでも何とでも理屈をつけて、やらずにはいられないお役人と、 B:新有権者がほとんど全員集まる絶好の機会に、 ぜひ顔と名前を売りこみたい首長や議員たちとです。 こんな程度の理由で、普通サイズの市で60−300万円の税金を毎年使っているわけです。 3.川崎市の場合ですが、伝えられる所では、市長挨拶5分、議員ら来賓35人の紹介6分、市議会副議長挨拶3分などを含め、 儀礼に約26分かけたと言います ( 他の報道では、約50人と約50分 )。 その一番最後に、やっと主役の新成人の代表の挨拶となるところが、 例の 「 土足で演壇に上がり・・・」 という予定外の 「 事件 」 になったのです。 次から次へのお偉方の紹介や挨拶なんて、私だって聞きたく有りません。 前回も書きましたが、私に言わせれば、 市長や議会の議長が、若者に対して、偉そうに祝辞と称して訓示を垂れる事自体、僭越なのです。 私がもし血気盛んな新成人だったら、 そんな挨拶など聞きたくありません。 私だって、多分 「 いい加減でもうやめろ! 」 と叫んでしまったかも知れません。 「 ハゲ! 」 と叫ぶような無意味で幼い無礼はしないでしょうが。 壇上に土足で上がったということが問題になりましたが、抗議のパーフォーマンスなら、かつての全共闘の大学生なんか、 学長や教授に対して、もっと無作法な言動をしょっちゅうしていましたし、戦前の旧制高校生の 「 ストーム 」 なるものなどは、 何割かはまだ20歳未満の未成年者なのに、痛飲のあげく、いいご機嫌に酔っぱらって ( 勿論喫煙もし )、 時には、隊伍を組んで声高に寮歌などを高吟し、盛り場を練り歩いたり、ずいぶんな蛮行をやっていたわけです。 青年のエネルギーの発散とは、昔から、多かれ少なかれ突発的で無作法なものなのです。 私がこの成人にとって残念だと思うのは、彼の土足の 「 蛮行 」 ではなく、 事後に彼が市長に呼びつけられ議員らに10分以上叱りつけられたとき 「 申し訳ありませんでした 」 と謝った事です。 謝るくらいならあんな事はせずに、 おとなしく予定どどおり 「 良い子 」 的な挨拶を淡々と述べれば良かったのです。 イライラカッカした挙げ句、その場の思い付きで暴発するからこんな事態になるのです。 熟慮の上 「 お役所の権威とお仕着せ 」 を痛快に粉砕し、その結果については後悔などせず堂々と胸を張る・・・ これが成人の所業ではないでしょうか。 信念を持ってやったのなら、たとえ処罰を受けようとも決して謝ってはいけません。 たとえ浅薄なものであろうと、多少間違っていようと 「 自分の考え 」 を持ち、 それを貫こうという 「 信念を持っている 」 ことこそが、成人になったという証しなのです。 4.この川崎市でもそうだったのですが 「 おかみのお仕着せを押し付けるわけではないよ 」 という姿勢を示そうとして、 企画・準備の段階で新成人やその前後の年齢の若者をサポーターとして加えるということが、一つの改善として行われています。 でも、こういうのは、自治体側の一つのポーズに過ぎないのです。 新聞報道には、サポーターたちの中から出た 「 議員紹介を省略し、 パンフレットに顔写真を載せるという案も出たが 『 役所に通るはずがない 』 と提案しなかった 」 とか 「 サポーターを何年かやると何が通って何が通らないか分かる 」 とかいう、悲しい物分りの良さが紹介されています。 つまり、小手先で小改良を図っても、もうどうにもならないほど、従来型の成人式は時代にマッチしなくなってきているのです。 5.伊東市の場合は、酔った連中が壇上に駆け上がり掲示物を破り捨てたということで、これはもう、正真正銘の狼藉行為です。 許されるわけもありません。*1 ところが、事件が起きた後、市長に 「 告訴する 」 と言われて、 酔って狼藉をはたらいた成人たちが 翌日親が付き添われて謝りに行ったというのが、何とも滑稽だと思いませんか? これこそ噴飯物です。 成人なのですから、悪かったと謝るのなら、自分たちだけで堂々と謝りに行くべきです。 成人なら、親がついてくると言ったら、断るべきです。 自分のした狼藉には、自分だけが責任を持とうとしなくてはなりません。 当人たちも親たちも、実は 「 成人したと思ってていない 」、「 成人していない 」 ということを図らずも表明してしまったのです。 6.町のおとなたちの声は、新聞報道によると 「 一歩止り考え直せ 」 だそうです。 結構なことではありませんか。 でも、喉もと過ぎれば熱さを忘れ、毎年、成人式を 「 もう来年からやめようか 」 と一考する自治体は皆無に近いのです。 せいぜいが、何とか静かにしてもらえるような工夫はないかと小手先の修正?を思い巡らせている程度です。 なぜでしょうか。 それは、成人式がどこでも 「 お役所仕事 」 で運営されているからです。*2 「 自治体は毎年成人式をおこなわなくてはいけない 」 なんていう法律はどこにもないのに、 彼らには変えようという発想も決断もないのです。 さあ、ではどうしたらよいのでしょうか。 私の主張は 「 現状のような成人式の催しは、即刻やめよう! 」 ということです。 オトナがオトナに対して、そんなことをしてあげる必要も、義務も、権利もないのです。 こんな式典を全国的にやっている国が、日本のほかにどこにありますか? ( 外国にないから日本にもなくて良いなどと言っているのではありません ) 日本の若者が、世界のどこの国の若者よりも精神的にオトナになれていない原因の一つは、 こんなたぐいの行事ばかりやってあげているオトナ側の過保護体制にあると思うのです。 *1:酔っ払いといえば 「 酔っぱらって来た成人は会場に入れない 」 という社会の常識を、 事前に周知し、当日は体を張ってでも守らせようとしなかった主催者は、規律に甘く、無責任だったといえます。 市の主催の講演会や音楽会だったら、酔っ払って入場しようとしたり、酒瓶を持ち込もうとしたりしたとき、主催者はどうするでしょうか。 考えるまでもないことです。 *2:たとえば、民間企業では、同じ行事が何十年も同じやり方で続けられるなどということは極めて稀です。 5年ごと、10年ごとに見直しが指示され ( あるいは提案され )、 その結果改革され、置き換えられ、あるいは中止されたりして、全体として進歩して行きます。 |