カムチャッカ夏の旅(その2)
 
  2002年7月21日〜29日 

7月22日(月)

 朝7時(日本時間5時)に目が覚めた。妻は夜中に蚊に刺されて目が覚めたそうだが私はビールを飲んでいたにもかかわらず、刺されなかった。窓の外は一面の霧で、飛行機が飛ぶかどうか心配になった。朝食行くと4階のレストランは閉まったままだった。11階だと言われ昨日と同じレストランに行った。席について朝食券を出すと、ハムエッグかオムレツかと聞かれたが、英語で聞いてくるのでハムエッグというのが聞き取れず、オムレツにした。オムレツは卵の白身とハムのオムレツで、黄身が出てくるのかと思って食べたが結局白身ばかりだった。しかしこれは後になって判ったことだが、ロシアの卵は黄身が非常に白っぽく、混ぜると白身ばかりのような色になってしまうためで、黄身も入っていたようだ。朝食はオムレツの他に黒パン、杏ジャム、バター、紅茶(紅茶は大きなカップに日本の2倍くらい入っていた)だった。4階のフロントの女性に両替の場所と3時半にタクシーを空港まで頼み、どこで待っていればいいか聞いたら部屋で待っていてくれればいいと言うことで一安心。3年前は自分で電話をかけてタクシーを頼まなければならなかったのでちょっとサービスが良くなったかな。朝食を済ませ町に出かける。本屋を探してみたが見あたらず、歩いている人に聞いたら教えてくれたので、行ってみたがまだ開店前だったので近くのカフェ「Studio」に入った。いきなりいろんなものの書いたメニューを持ってこられ、ふつうのコーヒーはどれと聞いたらメニューを開いて見せてくれたが、よくわからずエスプレッソを頼んだ。小さなチョコレートのついたエスプレッソはまあまあの味だった。1杯65ルーブル(260円)はロシア人にとってはめちゃくちゃ高い値段だ。家族連れが入ってきて、メニューを見て何も頼まずに出ていってしまったことからも値段の高さが判る。カフェを出て本屋に入り、ウラジオストクの地図があるかどうか聞いたらいろんな地図があった。日本語の地図、電車の路線図のついたもの、ロシア語の普通のものの3つを90ルーブル(360円)で買った。その後シベリア鉄道の起点であるウラジオストク駅へ行き、列車の写真を撮る。モスクワ行きのロシア号はなかったが、ブラゴベシェンスク行きのロータス(蓮)号が停まっていた。

  

   ウラジオストク駅           ブラゴベシェンスク行きのロータス(蓮)号 

  ホームに展示してある蒸気機関車

 駅には改札口はなく自由にプラットホームに降りていける。プラットホームに蒸気機関車が展示してあり中国人の旅行者たちが機関車に乗って記念写真を撮っていた。私たちもそこで写真を撮り、鉄道の駅の奥にある海の駅へ行ってみる。港には軍艦の他に「静かなドン」を書いたミハイル・ショーロホフの名前をとった大きなフェリーが停まっていた。港で中国人旅行者に写真を撮ってもらったが、彼は立ったりしゃがんだり、あちこち動いたり、ロシア人が座り込んでいるからもっとこっちに寄ってと言ってやっと撮ってくれたが、現像してみたら写っていなかった。シャッターを押すのが弱かったようだ。「地球の歩き方」に7番の電車に乗っていくと市場に行けると書いてあったので駅前の市電乗り場で待つが7番の電車はなかなかやってこない。電車の路線図を見ると電車でウラジオストク1周ができるようなので、頻繁に来る4番の電車に乗ってルゴヴァヤ(Луговая)まで行くことにした。電車はかなり老朽化しており、座席はパイプの骨組みに板が張ってあるというものだ。乗ると車掌さんがやってきて切符を売ってくれる。1乗車5ルーブル(20円)。定期券や無料乗車証を持っている人はそれを見せる。ルゴヴァヤで降りると道路に男の人がひっくり返っていて、頭から血を流していた。どうしたのか心配だったが、どうすることもできなかった。人通りが多いところなのでもう誰かが救急車を呼んでいるかもしれない。反対側にわたり市場みたいなところを見て回った。野菜、木の実、ベリー類、パン、衣類、雑貨、くつ、魚、肉、乳製品、お菓子、あらゆるものが売っていて見ているだけで楽しかった。真っ赤に熟れたトマトを2個(6ルーブル=24円)買って食べた。そしてゴミ袋にする薄い袋(100枚入り)を20ルーブル(80円)で買った。市場で売っていたものの値段は次のようなものであった。ロシア人の平均給与が6000ルーブルということを考えて見て欲しい。
トマト   16ルーブル(1キロ)
にんじん  12ルーブル(1キロ)
バナナ   23ルーブル(1キロ)
レモン    8ルーブル(1個)
赤かぶ   20ルーブル(1キロ)
じゃがいも 10ルーブル(1キロ)
タマネギ  10ルーブル(1キロ)
キャベツ   4ルーブル(1キロ)
ニンニク   5ルーブル(1キロ)
キュウリ  12ルーブル(1キロ)
くろすもも 65ルーブル(1キロ)
桃     35ルーブル(1キロ)
ネクタリン 45ルーブル(1キロ)
リンゴ   25ルーブル(1キロ)
オレンジ  35ルーブル(1キロ)
アメリカンチェリー 180ルーブル(1キロ)
卵     19ルーブル(10個)
チーズ   80ルーブル(1キロ)
バター   60ルーブル(1キロ)
リプトンティーバッグ(25入り)   27ルーブル
油  1リットル           29,31,37ルーブル
ジュース(100%)  1リットル  19ルーブル50カペイカ
ケーキ(直径25センチ)      195ルーブル
ヨーグルト(カップ入り)      6−8ルーブル
牛乳  1リットル   17ルーブル
豆乳  1リットル   10ルーブル
ビール(バルチカ9)  500ml 16ルーブル
ビール(バルチカ3)  500ml 13ルーブル50カペイカ
かっぱえびせん(韓国製)  7ルーブル
カレイの干物(大) 25ルーブル  (小) 10ルーブル
パンスト 1足46ルーブルから186ルーブルまでいろいろ
果物は外国からの輸入品やコーカサスから運んでくるのでとても高いように思われた。値段表示は1キロだが売るときには果物などははかりで測って1個から売ってくれる。市場を一回りして、最後にロシア人が買っていたピロシキみたいなものを見つけて私たちもそれを買おうとした、今切らしていると言って他のを勧められたが、脂っこそうだったのでやめてピャンセ(Пян−се)という挽肉とキャベツの入った肉まんを9ルーブル(36円)で買って食べた。なかなかいい味だった。ロシアでは何でも日本のものよりずっと大きくて、二人で1個を食べてちょうど良いくらいである。ウラジオストクを電車で1周しようと思っていたが時間も遅くなったので、同じ4番の電車に乗って戻ることにした。центр(中心地)で電車を降り、広場でケーキを売っていたので2つ(20ルーブル)買って食べた。ロシアのケーキにしてはそんなに甘くはなかった。女の子が馬を引いていて馬に乗せて広場を1周すると50ルーブル(200円)だというので、妻を乗せた。馬の背中に乗ると結構な高さになり眺めも違って見えたようだ。

   

      広場の馬             キックボードで遊ぶこども

 広場で見つけたかわいい男の子

その後まだ少し時間があったので近くのアルセニーエフ国立総合郷土博物館に入り(入場料70ルーブル=280円)、ウラジオストク周辺の生物や鉱物、歴史などを展示してある展示室を見て回った。展示室は3階まであり70ルーブル分は十分見たと思った。博物館を出て、ホテルへ戻る途中本物の100%ジュースを飲ませてくれる店があるのでそこに寄って、ブドウと桃のジュースを飲んだ。プラスチックのコップになみなみと注いでくれて1杯9ルーブル。桃のジュースの方が美味しかった。ホテルに戻ったのは3時少し前だった。ホテルの部屋で休憩していると3時30分少し前に、タクシーが来たと言ってきたので、タクシーで空港へ。背の高い、2m近くある青年の運転する車は渋滞もなく時速90キロくらいで飛ばし、空港近くになると130キロで走っていた。おかげで45分で空港に着き、500ルーブル(2000円)払って、青年と別れる。私たちの乗る17時50分発ペトロパヴロフスク・カムチャツキー行き388便のチェックインはもう始まっていて、日本人団体客の長い列ができていた。いくつかの日本からのツアーがあったらしく、乗客のほとんどは日本人だった。ツアー客の年齢は50−70代と思われ、添乗員さんも大変だなあと思う。仕方なくその長蛇の列に16時40分頃から並んだ。地下1階にあるトイレに行くと有料(4ルーブル)で、男の人が2歳くらいの男の子を連れて、どうもうんちをおもらししたみたいで、子どものパンツを洗っていた。男の子はパンツなしでお尻のところにシミを付けたズボンをはいていた。20分くらい並んでチェックインを済ませた。3年前は空港使用料30ルーブルを取られたのに、今回はなかった。まだ早いので空港ビルの2階を見て回った。飲み物やCDを売っている店が並んでいた。1周してセキュリティーチェックを済ませ搭乗待合室に入ったのは5時だった。既に団体客で満員だったので売店でビールとおつまみにピーナッツを買った(Бочкаの緑色のラベル−35ルーブル、ピーナッツ15ルーブル)。ビールを飲み始めるとカムチャッカ行きの飛行機へ案内するバスが出ると放送が入ったが、1台では乗り切れないから、次のバスにすればいいと安心してゆっくり飲んでいたら、次のバスがすぐにやって来て、あわててビールを飲み干し、バスの方へ行った。しかし2台目のバスにも乗りきれず、3台目のバスに乗って飛行機のそばまで行く。

ペトロパヴロフスク・カムチャツキー行きのツポレフ154型機

飛行機はやはりツポレフ154型機。乗客はほとんどが日本人。あまりに早く飛行機に乗せてくれたので早く出発するのかと思いきや、駐機スポットから動き出したのが17時35分。管制塔から出発OKのサインが出て離陸したのは予定時刻を過ぎた17時55分だった。離陸後30分ほどして飲み物(ビール、トマト、リンゴ、オレンジジュース)が配られ、その後夕食が出た。夕食の内容はトマトとキュウリのサラダ、鮭とご飯とミックスベジタブルを炒めたもの、黒パン、丸パン、デザートは果物の缶詰の盛り合わせ(黄桃、チェリー、パイナップル)、そして紅茶又はコーヒー。食事が終わったところでまだ1時間半しかたっていない。あと1時間半かかる。
22時50分、ペトロパヴロフスク・カムチャツキーに到着。国内線なので空港ビルには入らずに、ビルの脇の門からいきなり外に出される。11時といっても日本時間ではまだ7時なのでたそがれ時という感じで、薄明るい。迎えに来ていたスヴェータとアンドレイがすぐに目に入った。ロシア風に抱き合って再会を喜んだ。妻はロシア語が全くできないので私が通訳することに。手荷物は20分ぐらいたってから出てきたので荷物室に取りに入ったが、いくら待っても私のスーツケースが出てこない。最後の荷物が出てきて、係員に「もうないのか」と聞くと「これで最後だ」という。出てきた団体ツアー客のの荷物を見ると、なんとそこにあるではないか。きっと一番に出てきて誰かが取って横に置いてくれていたのだ。カムチャッカの荷物受け取りのベルトコンベアーは回転式ではなく、奥から手前へ1本あるだけなので、出てきた荷物を下ろさないと荷物が詰まってしまうので誰かが取っておろしてくれたようだ。自分のスーツケースが見つかってほっとして車に戻った。アンドレイの車は日本のコロナ(94年型)で乗り心地はよかった。途中近道だといって穴ぼこだらけの舗装していない道を通って行った。日本の車はロシアのひどい道を走らされて、日本に帰りたいと言っていると冗談を言っていた。直接ホテルへ行くか、彼らの家に寄っていくかと聞かれ、遅いので直接ホテルに送ってくれるように頼んだ。ホテルは3年前に来たときと同じアヴァチャ。部屋は201号室、2階の一番奥の部屋で明るくてきれいな部屋だった。バスタブ、冷蔵庫、シャンプー、石けんもついていた。スヴェータが用意してきたイクラがたっぷりのったオープンサンド、ハム、チーズ、トマト、キュウリを食べながら、シャンパンで乾杯した。スヴェータとアンドレイの携帯電話の番号を教えてもらって、明日朝食が終わったら電話することにした。電話は最初に9番を回して相手の電話番号を回す。シャンパンを1本空けて、スヴェータとアンドレイは帰っていった。疲れていたので風呂は明日の朝はいることにして寝た。夜中に冷蔵庫のモーターの音がうるさくて2回目が覚めた。

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