IFR パイロットへの道
計器飛行証明 実地試験体験レポ−ト 調布 JA3897 福増一浩



******はじめに******

イカロスの時代から人は大空にあこがれていた。 だれでも少年・少女時代一度は空をみて「飛びたい」と思ったことはあるだろう。
飛行少年(実際はおやじ)は、その気持ちを大人になっても忘れなかった連中の集である。
晴れて自家用操縦士なって、有視界飛行に限界を感じほとんどの方は計器飛行証明をとりたいと考えるだろう。
実際、計器訓練をやろうと思っても、どこに、だれに、どのようにすればよいかの指針が日本では数少なく、
私自身暗中模索だった。
私の経験が、これから計器訓練や試験を受る方への参考になることを願っている。


******訓練概略*******

学科は航空ニュ−スの児島氏と一緒に勉強し1998年12月に無事合格した。
まずは学会で渡米した合間に、飛行学校で初歩トレ−ニングをしてみた。
日本でも冨田、高塚、井野上、田村氏にならいながら訓練をしていた。
AOPAの紹介で航空財団の日吉航空財団所長の講義を聞き計器飛行がかなり見えてきた。
元B-767の機長の橋本教官とGAT-IIというシュミレ−タ−を30時間行なった。
実機より難しが、おかげでクロスチェックはかなり上達した。実機に乗れば1日つぶれる。
しかし横浜から財団のある羽田は近く、半日訓練して、
午後が忙しい矯正歯科医の仕事が可能だったので都合がよかった。
航空振興財団でのリンクトレ−ニングが終わった段階で、年内に試験を受けるかどうか迷った。
財団の日吉さんの薦めと自分を信じて願書を提出した。
11月26日に試験日が決まった。
飛行機が全塗装のため9・10月の2ヶ月間、使用不可能だった。
「瀧田さんが最後の仕上げをしてくれる」とのこと、ありがたい話である。
11月3日に飛行機を引き渡されて、瀧田会長にお願いして仙台から一緒にIFRで持ち帰った。
しかし瀧田さんは都合により今後の訓練ができなくなった。
会長の紹介で加治教官との最後の追い込みトレ−ニングがはじまった。

名古屋、仙台、新潟、名古屋(合宿)、大島、福島とトレ−ニングを行った。
加治教官は現職のB747の機長でありながら気さくで、
エアラインの裏話をしたり非常に「おもしろおかしく」トレ−ニングができた。
加治教官は小型機の操縦センスも高く、本物のプロパイロットの教えを頂きまことにに光栄だった。
しかし上空では厳しく、勉強もかなり行った。

******経歴箇条書き******


受験生 福増一浩 本職 矯正歯科医 昭和35年9月7日生(39才)
飛行経験18年
1982    コロナ カリフォリニアで自家用取得(C-152)  50時間まで
1982-1987 本田フライングクラブ(C-172 PA-28)    120時間まで
1987-1997  JA3649 PA-28 大塚・木村氏と共同所有    500時間まで
1997-1998  JA3955 PA-28 Turbo Arrow 島田・田村氏と共同 560時間まで
1998-現在  JA3897 PA-32 Turbo Saratoga 井野上・田村氏と共同 現在。
計器訓練経験
1998年5月にオレンジカンティでC-172で基本計器訓練  8時間
1998年10月より冨田教官と基本計器訓練       24時間
1999年6月より航空振興財団(日吉所長)橋本教官とGAT-II 30時間
1999年11月全塗装終了した実機で加治教官と最後の追込み24時間

その他 瀧田・高塚・井野上・田村氏に教えをこうむる。

******実地試験当日******

総飛行時間637時間
「計器トレ−ニング69時間(フ−ド時間)リンク31時間」
教官 現職 定期便 B747-400 加治機長
試験官 槙本試験官 航空大学校出身 管制官 航大教官 という経歴らしい。

1999/11/26 試験初日
はじめから日没(16:29)の関係で、2日にわたって試験を行う事を試験官が言っていた。
初日は口頭試問、飛行前ブリ−フィング、Air Workの予定とした。
試験前にログのチェックをした。「訂正(修正液は使用禁)のしかたが悪い」と言われた。

******口頭試問(1時間 実際はもっと長い)*******

・計器飛行とは・計器飛行方式とは
・ADFとは? 使用周波数範囲は?
・ADFの到達距離は?
・ADFの誤差にはどのような種類があるか?
・海岸誤差とはどのようにADFが誤作動するか?図を書いて説明せよ
・VORとは?原理 到達距離
・VORのドットと偏位量の説明
・ILSでのGPのドットと偏位量
・庄内へ飛行中、V32で山形上空でアプロ−チクリアランスが早々来た。
どのように飛ぶか?いつ進入開始高度3500feetに降ろすか?(MEA5000feet)
・庄内VOR/DME rwy 27 APP で北から進入する場合どう飛行するか?
・庄内レディオはアプロ−チクリアランスを出すか?
・庄内のチャ−トを見て、VOR/DME rwy 27のアプロ−チ中DMEがアウトになったどうするか?
・庄内のチャ−トを見て、VOR/ ILS rwy09のアプロ−チ中DMEがアウトになったどうするか? 
GP outどうするか?
・OMは何のためにあるのか?OMが無いときはどうするか?
・庄内をアルタネ−トとする場合ALT MINIMAについて。
・ALT(庄内)に到着予定時刻の予報が風270/15、雲底が700feet、視程3200m ALTとして選べるか?
・西風が強いときV30を北上中、"Traffic 12 O'clock 2mile"と言われたどこを探すか?
・レ−ダ−ベクタ−で、ヘディング360°と言われた。そして"Traffic 12 O'clock 2mile"と言われた。
どこを探すか?
・仮に庄内にレ−ダがあるとして、レ−ダ−ベクタ−でVOR/DME rwy09に誘導された。
いつ1800feet以下に降下してよいか?
・DME局上空9000feetで通過した。真上でDMEは何マイルをさすか?
・ILSの設備で必要な設備は?
・ILSの設備で必要な燈火は?

取りあえず口頭試問は
「出来ないところもあったが、全体的によく勉強されているので、いいだろう」と言われた。
加治教官いわく「質問の内容は非常に実践的な質問で事業用やATRのパイロットレベルだった」とのこと。

******機長の出発前点検*******

1.当該航空機及びこれに装備するべきの整備状況

耐空検査後の飛行ログ(コンピュ−タ−に入っている)と機体・プロペラ・エンジンについての残時間と残日数を
、奇麗にワ−プロでまとめたものを説明した。また当日整備士の点検表も「異常なし」と説明。
なんの質問もなし。

2.離陸重量・着陸重量・重心位置及び重量分布

前もって試験官の体重を聞いていたのでウエイト&バランスをコンピュ−タで計算したものを印刷して、
グラフも燃料を4時間使用後の位置とだしておいた。
飛行規定のグラフ(離陸・着陸距離)をコピ−し、調布での離着陸可能のグラフも添付説明した。
「気温は何度で計算したか?」といわれ「15℃」と答る。
3.航空情報
関東1−1のみ飛行なので調布(工事)と関宿と本田(アクロ)について説明した。
従ってエリア(1−1)の南側は避けるべきと説明。

4.気象

用意した天気図は地上天気図(ASAS)・24時間予報天気図(FSAS)・高層天気図300/500hpa(AUQ35)
・高層天気図700/850(AUPQ78)・極東雲画像情報(TSFE1)・国内航空路断面予想図(FXJP112/118)を用意
デ−タはMETAR TAF TTAA PPAAを用意。

天気図を色分けしてくどくど説明した。トラフについて少し質問されただけで問題なくクリア。
高層天気図の大体の高度を聞かれ(300hpa=30000feet 500hpa=18000feet
700hpa=10000feet 850hpa=5000feet)と答えた。
5.燃料及び滑油の搭載量およびその品質AVGAS100/130をUsable 102gal 、
オイルはシェル商品名W-80 SEA-40Wを12q Usable 9+3/4qと説明。

6.積載物の安全性

後部貨物室に20Lbベルトに締めてある。

******昼食******

昼食になった。試験官はおにぎり2個用意していたが一緒にそば屋に行くことになった。
あまり世間話もしない試験官で教官も本来よくしゃべるが、相手に合わせてか、あまりしゃべらなかった。
そば屋にいく車の中が葬式にいくかのように沈黙が流れた。車の運転にも気を使う。
11時に開くそば屋(みかり野)に10時45分に着き、そば屋1番乗り。
何でも一番乗りは気分がいい。
私は高校時代ハンドボールの全国大会でカツを食べて勝ち続けた事を思いだしカツ丼。
試験官は、もりそばを注文した。教官は定食だった。
支払い時に「私の分」と試験官¥1000渡した、教官がすかさず「構わない」と言うと、
「そういうわけには行かない」と¥1000を引き込めなかった。私は、おつりの¥250を試験官に渡した。
役人根性がしっかりした人だと思った。厚生省の役人も見習って欲しいものだ。
そば屋を後に直接CABに行き最新の気象をチェックして、Air WorkのみなのでVFRプランを入れた。
飛行は関東1−1のトレ−ニングエリアまで自分判断で飛行した。
東京TCAにレ−ダ−モニタ−を依頼するが管轄範囲外と断られた。
関宿に北に着いたが試験官の動きがない。仕方がないので自分から「Air Workはじめます。」
と言ってフ−ドを着けた。
順番は
・右タイムドタ−ン360°
・着陸形態の左タイムドタ−ン180°
・着陸形態で右定率上昇旋回から連続、左定率降下旋回。
これは1−1の上限が2000feetなので、着陸形態の上昇旋回は1500feetまで落として開始した。
・APP, Landing, Dep Stall。Dep Stallも1500feetより開始した。
・45°steep turn.左右連続360°×2
・AIとDGを隠し、Unusual Attitude recoverを2回(上昇・降下形態)
・最後はAMI VOR(TLE)のR-280に90°カットでインタ−セプトしてインバンド3分飛行せよ。

関宿上空で試験終了。「他にやり残した事はないよね?」と実地試験実施細則を見ながら言った。
無いと思うと無言で首をかしげた。
「やり残しがあったら、また後日やればいいや、自分で帰投して下さい。」
と言われ横田APPにレ−ダ−モニタ−を頼み、SYE R-220のOut Bondで調布に帰投した。
飛行時間は1時間50分だった。
着陸後に「飛行に関しては何もありません、しいて言うならもう少し落ち着いて、どっしり構えて操作してください」
と言われた。 後で教官いわく「今日は85点やな」
なんとなく半分受かった気がしたが、しかし最後まで気が抜けない。

******12/1 試験飛行前 2日目********

機長の飛行前確認事項を前回同様すませた。
気象のところで新潟上空にある雲は何で発生しているか?と聞かれた。
気象をみて仙台に決定、仙台までの往復のナビログを作成してくださいと言われた。
コ−スは受験生は決めて下さいとのことだった。
ナビログの往復を30分で作成だが5分ほど時間オ−バ−。
行き
RJTF MI W14 JD W18 GO V22 RJSS  ALT RJSS - RJSF
帰り
RJSS V22 GOC IZUMI W18 JD W14 MI RJTF

と書いたら、「IFRの終点は初期進入点だからSDEとすべき」と言われた。
プラン用紙にはSDEと書いていたが・・・・
また、「行きと帰りとでなぜル−トが違うか?」と聞かれた。
帰りはGOCからW18にインタ−セプトするより、チャ−トに書いてある244°で
IZUMIに向かった方がカットもスム−スと言った。
「行きはなぜしないの?」
行きはGOはほぼV22上にあり、IZUMIからGOCに向かうと2NM遠回りになるとし、
V22はVORナビなので容易にインタ−セプトできると判断したから、と答えた。
あまり説得力のある答えとは思わなかった。試験官「・・・・・・(無言)」。
同じル−トにすれば良かったと後悔した。

「行きは高度9000にした理由?」MEAが8000で東向きなので9000と言った。
「別にそれ以上でのいいだろう?」と言われ、
「11000だと30分以上飛ぶ場合、機長は酸素が必要なので・・・。」と答えた。
酸素は装備されているが使用したくなかった。
・一般に酸欠は何フィ−ト以上でおこるか?
・フライトプランの無線設備のSはどういう意味か?

行きはALTを福島に取ったが、帰りはVFRなので取らなかったがなにも言われなかった。
(本当は大島あたりに取りたかったが、時間がなかった。後で教官いわく取る必要はない。
との事だった。確かに燃料は2時間以上余計にあるのでALTは不必要)
仙台のアプロ−チチャ−トを見て、「レ−ダ−ベクタ− 中ラジオ不通になったらどうするか?」
各飛行場ごとのル−ルがAIPにのていることを知らなかった。
通常のプロセ−ジア−を言ったら「チャントAIPを読みましたか?」と言われ「読みました」と答えた。
本当は理解していなかった。結局試験官にヒントをもらってAIPのプロセ−ジャ−を説明した。
試験官「今のは危なかったですよ・・・。」とまた脅された。
「これでは許せないのでもう1つ質問します。」と言って何か聞いたが、すんなり答えてなんとか乗りきった。

******飛行中*******

調布離陸後、速やかに横田でクリアランスをもらった。
カリフォルニアで免許をとり、その後ハワイのホノルルやジョンウエン空港で、
アメリカ人とのATCについては鍛えられていた。
おかげで横田との通信にはあまり不自由を感じた事はなかった。
むしろ我々に非常に優しくしてくれる。逆にACCにVFRでレ−ダ−モニタ−を依頼すると、
迷惑そうな口調で答えられ気を使う。
RCA(クル−ズに入って)すぎて「GOCまでに風を出して下さい。」
また「JDでポジションレポ−トをして下さい。」と言われがJDでレポ−トするのを忘れて、
W18に入って「ポジションレポ−トは!」と言われ慌ててした。
GOのETOを言わなかったら「GOのエスティメ−トは!」と言われて、慌てて言った。
ポジションレポ−トはふだんしないし練習もしなかった。
風もGOにつく前に計算し答えたが、不服だったのかV22に入って、
またもう一度風を出して下さいと言われ計算した。
V22でEOCになる前に仙台APPが、レ−ダ−ベクタ−で右030°と降下を要求それに従う 。
しかし4000feetくらいでチョットした雲があったが、そのまま突っ切ろうとしたら、
「デアイサ−着いていないのに入ったらフェイルだよ!」とまた脅された。結局右によけた。
Airport workは
Radar vector to ILS rwy27 でTGL. IFRキャンセルしてもう一度
Radar vector to SIM ILS rwy27 でSIM Missed APP.
(TWRからAPPにコンタクトするのが遅れたが、何も言われなかった。)
SIM VOR/DME rwy27 Circling to rwy12をしてくれと言われた。
rwy12にフルストップして、国際航空の「グリ−ンハンガ−」で国際航空が用意してくれた
コンビニ弁当で昼食。
もちろん前回同様、試験官は昼食代を支払ったが国際航空がサ−ビスで出してくれた、
みそ汁代が入っていないと言って、みそ汁代を払おうとする試験官に教官が説得していた。
1杯のみそ汁代のやり取りは、今思うと少しこっけいだったが帰りのナビログを緊張してチェックしていたので
、笑える気分ではなかった。
教官が私の緊張を察してか、試験官と飛行機談議をしていた。
私は、はじめ食事がのどをとらなかったが結局全部食べた。
何故なかなか痩せられないか納得した。
帰りはGNDにクリアランスをもらったフライトプランどうりのル−トをDaigo Tow DepのSID経由でくれた。
とにかくヘディングやコ−スセレクタ−、左右間違いのケアレスミスだけが怖かったので何度も確認した。
SIDの最中、「フ−ドを取れ」と言われた。
計器訓練当初はフ−ドは辛かった。慣れれば外の見張りや雲の判断するひつようがないので逆に楽だった。
計器のパイロットがVFRが難しいという意味がやっと分かってきた。
フ−ドを取られたから、アイシングレベルの雲に絶対に入らぬよう、
早め早めの判断とデビエションが必要になってくる。
幸い天は我に味方し8000feetでは一度も雲中飛行することなかった。
GOC上空は雲上飛行だったがJDすぎて雲は無くなていた。
いつル−トチェンジしろ言われるか思っていたら、
SDEとGOCの中間で「それでは問題です」と言われSIMでル−トチェンジするとのこと。
試験官「調布が南からの前線でIMCになりました。
回復の見込みありません、どうしますか?」
「福島にダイバ−トします。」
「具体的どうする?」
「レ−ダ−ベクタ−で福島要求します」
「レ−ダ−ベクタ−がダメなら」
「GOC-FKEのル−トをとうります」
といったら実際のATCを試験官を管制官と見立ててル−トチェンジする事をやった。
試験官が「Clear to Fukushima via GOC」と言って「福島の詳細は」と言われた。
実はAIPは後部座席にあった。その時はじめてオ−トパイロットを入れて、
取ろうとしたら手が届かなかったので教官に頼んだ。「独りで乗ってらどうするの!」と言われた。
手の届くところになんでも置くものだと思った。
AIPをみて福島の初めに開いたペ−ジのDaigo Arrival のSTARを言おうとしたら
「もういいです。質問はおわりです。」といわれた。
”やばいSTARのクリアランスなど出ていない。
この場合福島VOR上空のクリアランスしかでておらず、
今後どのアプロ−チを選ぶかが問題いなんだ”と思ったが結局質問は終わってしまった。

W14を南下して横田にスイッチされた。
EOCの時間になったので「800f/mで降下開始します。」と言って
8000feetから6000feet(MEA5000feet)まで降下を要求し降下。
KOGAを過ぎたのを確認して、さらに4000feet(MEA4000feet)まで降下を要求。
あくまで西向偶数にこだわった。4000feetでMIをヒット。
早くVFRに切り替えて降下しないと高度処理が間に合わないと思った。
横田にキャンセルIFRと言ったが、途中で変わった女の管制官がこちらの気もしらないで、
何も返事がない。ここまで来てIFRでMEA以下に降下した、といわれフェイルしてたまるか、
と思い「Conform Cancel IFR decent to 2500feet」といったら「Roger」。
試験官に「VFRで降下します」といって降下した。田無が見えてきて、
横田に1500feetまで降下すると言ったらレ−ダ−モニタ終了と言われた。
調布に切り替えrwy35でRight Down Wind経由で着陸した。
自分としては多少ポカはあったが、気合が入っていたせいか今までの訓練以上に出来たと思った。
しかし上空での質問や総合評価は?だった。
エンジンを止め無言のまま、石野砿油の応接室に行き試験官の言葉を待った。

*****最終試験終了後の試験****

1.高度や速度を正確に合わせているのに、なぜ地上では回転をチャントセットしないのか?
2.ルートチェンジのやり方をチャントマスターする。
3.日本はレーダーカバーで、ポジションレポートはほとんどないがチャントできるようにしておくこと。
4.ファイナルアプローチが低いように思う、3°のパスを守るくせを付ける。
5.オ−バ−ステ−ションはADFの針がチャント反対にさして、
初めてオ−バ−ステ−ションでアビ−ムでしてはいけない。
6.デアイサ−が着いていないのでアイシングレベルでの雲中飛行はフェイルになる。
デビエイションのヘディングを要求するべき。

「総合的にけしていい成績ではないが合格です。」
「よくここまで訓練しました」と言われた。

私は深々と試験官に頭をさげ礼を言った。「ヤッタ−」という感じはなかった。
自家用免許を取って十何年間も夢だったIFR Pilotになれたと思いまた、
今までの苦労が込み上げてきて感無量だった。
免許を送付する封筒を渡し試験官とのやり取りの後、
後ろにいた加治教官と応援にかかつけてくれた瀧田AOPA会長に深々と礼を言い堅い握手をした。

加治教官はAマイナスとほめてくれた。?

******考察******

金銭的のみならず、家内、子供、仕事、人間関係を犠牲にして達成した。
「IFRパイロットへの道」簡単ではないが決して不可能では無いと思った。
落とすための試験ではなく受かるための試験だとも思った。
日本のGeneral Aviationの発展のためにも、
自家用がもっと計器飛行で飛べばより安全な運航が実現するように思う。

******結論******

今回、計器飛行の訓練・試験を通じて感じた事は、今までIMCまたはそれに近い状況で、
GPS片手にVFRで飛行したことの怖さをつくづく感じた。
それは、たまたまロストポジションしなかった。
たまたまアイシングがおきなかった。
たまたまバ−ティゴに入らなかった。
たまたま向こうから飛行機か来なかった。
たまたま生かされていた。

だけだった事を痛感した。



ロシアへ愛(I:IFR)をこめて 〜ウラジオストックフライトレポ−ト〜

福増矯正歯科のホームページに行きます。