文蔵式

ぶぞうしき

標式遺跡 埼玉県浦和市文蔵貝塚(現名称:大谷場貝塚)

 黒浜式の古い段階に相当する。文献上は江坂輝彌氏の編年表に関山式と黒浜式の間に入るものとして括弧付きで登場する。その具体的な説明は無い。甲野勇氏が仮称として用いたのが始まりとされる。大谷場貝塚出土土器は貝殻紋の多用で著名であることから、貝殻紋を地紋とする黒浜式の別称として扱われることも多い。しかし、文蔵貝塚の出土土器は、(中〜新段階を主とする)黒浜貝塚群の土器に比べると工具文様の上でも違いは明らかなことから、そのような特徴を含めて仮称したと見るべきである。大谷場貝塚と類似した文様を持つ水子貝塚(東京考古学会調査分)や上福岡貝塚の出土土器が黒浜式と扱われたことからも、戦前において、すでに黒浜式の概念の再編成により吸収されたと理解することができる。山内清男が用いた「別型式」の語もおおむね共通する内容を指すと見られる。

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