海の幸 森の恵

 貝塚の中からは、貝殻の成分のカルシウムに保護されて普通の遺跡では分解してしまう当時の人々の“食べかす”が見つかります。これから復原される当時の人々の“台所”を紹介しましょう。

 水子貝塚でもっとも多く見つかるヤマトシジミは、現在でいえば霞ケ浦や宍道湖のような、淡水と海水が入り混じったところ(汽水域)に住みます。汽水域には海や川の生物も住みます。淡水の影響が少ない干潟や砂浜にはハイガイ、ハマグリ、サルボウなどの貝、蟹、海藻、ウニなどの小動物が群がり、岩場や沈没林にはカキやアカニシが付きました。入り江には、夏はクロダイやスズキ、秋にはハモなどの魚がめぐってきました。海産物は蛋白源として重要なものでした。

沼・川 オオタニシやカワニナなどの貝を食べるほか、鯉などの魚も多く食べていました。鴨などの水鳥は弓の名人が持ち帰る御馳走だったでしょう。

 クヌギやコナラなどのドングリ、栗、クルミ、栃などの大量にとれる木の実は、カロリー源として最も重要なものでした。ドングリや栃はアク抜きが大変ですが、栗は簡単に食べられ重宝されていました。ユリやカタクリ、葛、山芋などの根に貯えられたデンプンも重要な食料だったようです。猪や鹿や兎に雉、獣と鳥は楽しい御馳走でもあり貴重な蛋白源でもありました。食べかすは見つかりませんが、草や葉、果実などは食事に彩りを添えるとともにビタミン源になったでしょう。そして森や野原から得られる薪、材木、竹、茅、樹皮、蔓、繊維、鹿角、獣骨、皮など、さまざま素材が村の衣食住を支えました。

出土した貝貝層中の焚火跡の炭化した栗

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