縄 文 海 進

 今から2万年近く前、地球は厳しい寒さに包まれ南極・北極・高山の上に厚い氷河が凍りつき、海は氷河に水を取られて今より百何十mも海面が低くなっていました。日本はアジア大陸とつながった半島で、ナウマン象やそれを追う人々が行き来していました。寒さがピークを過ぎ、一転して暖かくなってくると、氷河が溶け、川を流れて海に注ぎ、海面がしだいに上がり、日本は大陸から切り離され「日本列島」となりました。

 上がり始めた海面の勢いはそれでは止りませんでした。例えば関東地方を見ましょう。極寒期には東京湾が陸地になり、利根川・荒川・多摩川を合わせた大河が深い谷を刻みながら流れていましたが、東京湾が復活し、さらに谷に沿って現在の栃木県まで海が進入していきました。この現象を「縄文海進」と呼びます。
 気候の温暖化は他にも多くの変化を招きました。関東地方は現在の北海道のような針葉樹林と草原に覆われていたのが、コナラやクヌギなどの落葉広葉樹林に変わり、草原を闊歩していた大形の獣は姿を消し、猪や鹿が森に潜むようになりました。
 黒曜石の槍をキラめかせていた狩人達は、新しい環境に適した文化を育んでいきました。
 森の獣を捕らえるため弓矢を発明し、木の実を食べるために石皿や土器を発明し、石の斧を磨いて森を切り開きました。森の資源をじっくり活用するために、竪穴住居を築き定住してムラを作った。

 そして、目の前に広がる海に目を付けました。

縄文時代前期中頃(約5500年前)の関東地方








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非貝塚遺跡の集中地域



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貝塚遺跡の集中地域

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