青春13階段

         「その時、Y氏は・・・」(その14)復活編

 私と、Y氏の付き合いは長いものです。よく有楽町のK喫茶店や、ガード下のヤキトリ
屋さんで彼の子供のころの話を聞かされたものでした・・・。

最近Y氏は東京へ戻りました。私が「その時、Y氏は・・・」を閉じてもう9年も過ぎま
した。Y氏の話の聞き役であったA氏はあれから四国に帰り二度と東京に来ることはあり
ません。今は愛媛の今治で仕事をしています。有楽町のガード下に時々立ち寄るのですが
あの「京華園」はいつも閉められていておばちゃんの姿は見かけません。Y氏はN社を退
職し今はTという会社で営業の仕事をしています。・・・・

Y氏はA氏のような友人もなく最近一人で飲むことが多くなったそうです。一人で飲む酒
場は必然的に立ち飲み酒場のカウンターであったり、駅前の常連さんの集まるおでんやさ
んであったり、中国人のおねえさんのいる焼鳥屋であったりサラリーマンの侘びしさがど
こか漂う店ばかりです。
立ち飲みやの酒場はかわいい学生アルバイトがいて明るい雰囲気が気に入り2年ほど通っ
たそうです。酎ハイ二杯と焼き鳥4本がいつものパターンで毎週1〜2回顔を出しました
が古株のおばさんの対応がだんだん気に入らなくなり最近は行っていないとのことです。
常連が集まる駅前のおでんやさんは、彼がかれこれ25年まえから時々顔をだしていた店
でずっと同じママさんがやっているとのことです。店のつくりは当時から変わりばえもな
く気軽に立ち寄れるので、今も時々顔を出して常連客の会話に参加しています。主力商品
であるおでんはつゆが塩辛いのでほとんど注文しません。ママに昔と味がちがったのでは
・・・と尋ねるとそんなことないよ・・・と答えが返ってくる。Y氏はママも年を重ね味
の嗜好が変わったのかどうかそのへんの原因がなんなのか解明できないでいようです。
中国人のおねいさんのいる焼鳥屋さんは浜松町の駅に近いそうです。交差点の角を曲がる
陳さんや任さんが店先に出ていていらっしゃいと声がかかるのでついカウンターに座って
いっぱいとなるようです。陳さんは海南島出身のお嬢さんで日本人の彼氏を見つけて日本
に帰化したいそうです。任さんは貴州省出身で南京市の師範学校を卒業し、同級生と結婚
二人で日本に来ているようです。中国の小学校の免許をもっているひとで、Y氏は酒を飲
みながら片言の中国語で会話するのを楽しみにしているようです。

Y氏は最近父を亡くしました。Y氏が35年もこの大都会で仕事できたのも父が家を守っ
てきたからだそうです。なにも財産らしいものはないがY氏の姉妹たちが育った思い出の
家を荒廃させるわけにはいかないと田舎にある家を継ぐのだそうです。Y氏がこの大都会
から姿を消すのはもう遠いものではないと思われます。  

    (おしまい。)

                    DE JA1・・・(さいたま市浦和区)

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