「間宮海峡アイスウォーク」
今回カラフトの写真を提供していただいた山中光江さんは、JTBの主催した「間宮海峡アイスウォーク」に参加されました。その時の現地の様子を皆さんにご紹介します。
山中光江さん
は、現在伊奈町立図書館の副館長を務めていらっしゃいます。私の中学校時代の恩師で、現在も親しくお付き合いをしておりますので情報を頂きました。
間宮海峡アイスウォーク」は、
氷結した間宮海峡
を徒歩で横断しようというもので、今年3月8日から8日間の日程で実施されました。主催はJTB水戸支店、間宮林蔵に大変関心を持っている天田匡氏の企画によるものです。大陸側、黒龍江河口の村プイル村を出発し途中氷上で一泊。林蔵がカラフトで到達した最北の村ナニヲー(現在はルポロボと言います)をゴールとする約25キロメートルの海峡を徒歩で横断するという冒険旅行です。
プイル村での交流の様子(プイル村村長との夕食会)
プイル村で出発前に現地の皆さんと交流している様子です。日本からの記念の品として、間宮林蔵の著作「東韃地方紀行」の中から林蔵自身を描いている
絵図を、色紙にしてプレゼント
しているところです。東韃地方紀行は、林蔵がカラフト探検(踏査)の結果を報告書として幕府に提出したものです。この報告書の中巻(上中下三巻からなる絵入りの大変わかりやすい紀行文です)に収められている「船盧中置酒」と題された絵図をプイル村村長(左端の人物、渡しているのは山中光江さん)にプレゼントしました。また、プイル村村長には、私
間宮正孝からの手紙
も渡していただきました。
冬のナニヲー
林蔵が到達した樺太最北の地ナニヲー、現在のルポロボ村の冬景色です。今回の「間宮海峡アイスウォーク」終点の地です。
ここナニヲーから見る黒流江の流れは北へ北へと流れ、林蔵が樺太は半島ではなく島であると確認した
「間宮海峡発見の地」
です。海峡よりナニヲーの海岸線を眺めたものです。ナニヲーは、現在も数世帯が住んでいるだけの小さな村です。林蔵が訪問した当時とほとんど変化していないようです。
ここに住む人々は、林蔵の時代からの
居住者の子孫ではない
(これは誤りでした。詳しくは/間宮正孝の樺太紀行/をご覧ください。96/08/13改定)
ということです。その理由は、先住の人々はソビエト連邦時代のコルホーズ・ソホーズの労働者として強制移住させられているからです。
ここの人々は、ソビエト連邦解体後自らの生活を見直そうと、敢えて苦しい生活を選んでここに移り住んだ(戻った)人々です。この村には、現在でも電気は通じていません。発電機を持っている世帯は裕福な世帯です。産業は昔ながらの漁労で、アザラシを中心とする海獣を捕獲し、肉を食料に革を生活用品に加工して生活しています。このため、残念なことですがここナニヲーには、林蔵のことを
伝え知る者は誰もいない
(これは誤りでした。詳しくは/間宮正孝の樺太紀行/をご覧ください。96/08/13改定)
のです。
一行を出迎えたナニヲーの家族
カラフト北部の先住の皆さん(ニヴフ族)の生活様式は、林蔵の著作「北夷分界餘話」に絵図を交え大変詳しく紹介されています。ニヴフ族の生活様式については、国立民族学博物館教授大塚和義氏の「ニヴフのアザラシ猟と送り儀礼」(国立民族学博物館研究報告19巻4号)に詳しく紹介されています。ルポロボ村の中央にはロマノフカ川が流れています。このロマノフカ川は、先住の人々は「ナニオー」と発音していたのです。林蔵は、この地「ナニヲー」の様子を鳥瞰図で描き報告書の中に記しています。
「東韃地方紀行」「北夷分界餘話」は、原本が国立公文書館に所蔵されています。共に重要文化財に指定されています。両著作は、
間宮林蔵記念館
で見ることが出来ます。間宮林蔵記念館には、「東韃地方紀行」「北夷分界餘話」の複製を公開している他、「北夷分界餘話」を元に安政2年に木版で刊行された「北蝦夷図説」(全四巻)も公開されています。
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