プイル村村長にあてた手紙の全文です。日本語ですが、現地で通訳の方を通じ伝えてもらいました。もし時間がありましたらお読み下さい。

 間宮林蔵(1780−1844)は、江戸時代(1600−1867)後期の日本を代表する測量家であり探検家です。間宮林蔵は、江戸幕府(日本政府)の技術者として、北海道からサハリン(樺太)一帯の測量を行い、正確な地図を作りました。また間宮林蔵は、サハリン(樺太)からアムール川一帯のニヴフの人々についての、当時の生活様式を正確に記録した報告書を残しています。間宮林蔵は生涯を地図づくりと国防にに捧げ、1844年65歳でこの世を去ります。
 今日日本では、間宮林蔵は道具も充分でない時代に偉大な事業を成し遂げた人物として、多くの人々に愛されています。日本人は、間宮林蔵が調査したサハリン(樺太)と大陸の間の海峡を、彼の業績にちなみ間宮海峡と呼んでいます。
 ロシア・ヨーロッパの人々にとって、サハリン(樺太)が離島であるのか、大陸と陸続きの半島であるのか、これは長い間謎でした。ヨーロッパの人々にとって、樺太一帯は、地球儀で唯一正確に描くことのできない地域でした。この長い間結論のでなかった問題を解決するため、1805年にロシア人の探検家クルーゼンシュテルンがサハリン(樺太)を探検しました。しかし、タタール海峡(間宮海峡)の北端まで到達しながら、それ以上の確認はできませんでした。確認できぬままにサハリン(樺太)は、半島であるという結論を下してしまいました。ヨーロッパの地理学者たちもこの結論を受け入れ、ヨーロッパでは樺太は半島であるということになりました。
 日本においても、樺太が島なのか、あるいは大陸から突き出た半島なのかは依然分かっていませんでした。また、樺太がどこの国が支配しているのかもはっきりしていませんでした。ただ、当時ロシアの船が度々日本を訪れ、貿易をすることを要求していました。日本にはヨーロッパ人があまり来たことがありませんでしたので、ロシア人の来訪をたいへん脅威に感じていました。
 こういう状況から日本も、サハリン(樺太)一帯を詳しく調査し、正確な地図を作らなければならないと思っていました。
 1808年間宮林蔵は、サハリン(樺太)に住む現地の人々の協力を得ながら、海峡地帯の調査を行いました。1809年間宮林蔵は、サハリン(樺太)西海岸を北上し、ナニヲー(ニヴフの人々が以前から集落をつくっており、川の名前からこう呼ばれたようです。現在のルポロボです。)に至りました。この北上によって林蔵は、明らかにサハリン(樺太)が離島であることを確認(発見)しました。この調査では、さらに対岸の大陸にまで渡って、サハリン(樺太)からアムール川河口域一帯の正確な地図を作成しました。
 ヨーロッパですでに認められていたサハリン(樺太)半島説は、この林蔵の調査によって覆されたのです。シーボルトは林蔵の調査結果を地理学上の大功績と賛え、彼の著書「日本」の中で林蔵の地図をヨーロッパに紹介しました。シーボルトはサハリン(樺太)と大陸の間の海峡を、調査した間宮林蔵にちなんで「間宮海峡」と名づけたのでした。
 間宮林蔵は、サハリン(樺太)一帯の調査の中で、夏になるとノヴォイリノフカ(当時はデレンと呼ばれた夏だけの町)辺りに清(現在の中国)の仮役所が置かれ、そこで交易が行われることを知りました。付近一帯のニヴフの人々がノヴォイリノフカにある仮役所に集まり、清(現在の中国)の役人に貢ぎ物を行い、お互いに交易をしていることを知ります。この事の意味するところは、サハリン(樺太)からアムール川一帯は清(現在の中国)の支配下に置かれていたということでした。
 間宮林蔵がノヴォイリノフカにあった清(現在の中国)の仮役所で、役人と会見をしているところが今回お持ちした絵なのです。
 間宮林蔵は、サハリン(樺太)からアムール川流域の調査の中で、ニヴフの皆さんの生活様式に関する民俗学的にたいへん詳しい報告書を残しています。今日では忘れ去られようとしている、ニヴフの皆さんの伝統的な生活の様子を、絵図を使ってたいへんわかりやすく記録しています。
 この記録は、間宮林蔵という外国人によって書かれたものです。しかし、ソビエト連邦が成立する前の、ニヴフの皆さんの伝統的な生活の様子を知る上で、大変貴重な資料ではないでしょうか。
 私たち日本とロシアは、先の戦争という不幸な出来事を経て以来、長い間友好の輪を広げることができませんでした。しかし、時は過ぎ戦争が終結して半世紀が過ぎました。隣国に住む友人として、親しく友好を結ぶときが訪れたように思います。間宮林蔵は、サハリン(樺太)からアムール川流域の調査において、多くのニヴフの人々と出会い友好を結び、彼の調査を成功させました。彼の時代から2世紀を経た今再び、私たち日本人と皆さんとの友好的な交流を始めようではありませんか。

1996年3月

間宮正孝

プイル村村長様

戻る



ホームページ

間宮林蔵ホームページに戻ります。