西島三重子物語その9
その後の「西島三重子物語」2
 そして、三重子がデビューして10年が経った。テイチクとの契約が切れ、85年に東芝EMI
に移籍することになった。東芝EMIは超大手のレコード会社で、所属する人気アーティスト
が多数いる。またカバーするジャンルも多い。はたして三重子の活躍する余地はあるのか、
小生は大いに不安になったものだ。
 ちょうどその時期に、「山口さんちのツトム君」で大ヒットを出した、みなみらんぼう氏が「N
HKはつらつスタジオ505」の新ラジオ歌謡コーナーで「時計を見ないで」を歌うことになり、そ
の相方に三重子が選ばれた。みなみ氏は以前から三重子の歌が好きで注目していたので
ある。そして、三重子としては初のデュエット曲を歌い、「時計を見ないで」はRCAレコードか
ら発売された。
 85年12月、三重子は新宿シアターアップルで「時忘れコンサート」を行った。偶然にもその
直後に、今度は蓑谷雅彦氏とデュエットすることになり「円舞曲」を歌った。こちらはミュージ
ックテープとして発売された。
 その後、三重子は「時計を見ないで」のキャンペーンでみなみ氏と日本各地を廻った。それ
にしても85年という年は妙に多忙な年になった。
 さて、東芝EMI移籍第一弾としてLP「SHADOW」を発表した。
 ここではまたまた変身したというべきか、以前のしっとりした曲調に戻った感があった。テ
イチク時代は自分のやりたかった音楽をやってきたが、三重子は電気楽器の音に疲れてき
ていた。このLPでは、電気楽器は意識的に全て排除した。
 88年、DAMレコード(第一家庭電器)からライブレコード2枚組を出している(非売品)。こ
れは高品質のアナログレコードを作るために企画されたものである。45回転(通常は33回
転)で、レコードそのものも厚く重い材質で作られており、アナログレコードのマニアにはた
まらない逸品だ。
 その9カ月後にはダイレクト・カッティングに挑戦した。これは同録とも呼ばれるもので、昔
の音撮り、つまりはバックの演奏と同時に歌うのである。現在は前もって録音してあるカラ
オケに歌を入れるのが主流になり、あとで自由に編集・加工できる。ところが同録はそれが
一切できず、アーチストの実力がそのまま現れるのだ。本当に力のあるシンガーにしかで
きない同録に三重子が選ばれたのは光栄であった。
 また、このレコードのB面の3曲は、当日、品川の「スタジオ・テラ」でファンを招いて公開
録音するという企画で、スタジオが見えるガラスばりの部屋で聴いている小生もかなり緊
張したものである(ちなみにレコードジャケットにはその時の模様が写っていて、ファンの姿
も。小生も!)。
 この時期は、みなみらんぼう氏との縁も続いていて、85年10月からの半年間、NHKラジ
オで「私の音楽アルバム」と「面白法律夜話」という番組の司会を一緒に受け持った。「私
の〜」では毎週クラシック奏者をゲストに迎えてのトーク、「面白〜」では弁護士を迎えての
話と、三重子の意外な面を見せてくれた。
 また、85年6月から1年間、新宿ルイ−ドでマンスリーライブを行った。バックがピアノ、生
ギター、バイオリンと実にシンプルな構成だった。毎回、シンプルイズベストを証明したよう
な、じっくり聴かせる歌唱で我々を酔わせてくれた。 
 レコードも順調に出すことができた。
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