s 西島三重子物語その7
西島三重子物語7(新天地へ。テイチク移籍)
 移籍第1号として作られたのが81年1月発売のLP「BYE−BYE」だった
。ここではワーナー時代の曲に比べてすこし変化のある2曲が発表された。
タイトル曲にもなっている「Bye−Bye」と「あきらめてサンバ」でポップス調の
ややアップテンポな曲である。当時は既にニューミュージックのジャンルが確
立されており、フォークは死語になりつつあった。俗に言うノリの時代で、明る
いりズミックな歌が巷に出始めた頃である。別に時代の流れに迎合し翔ぼう
としたのではないだろうが、積極的な気持ちもあったのであろう。三重子の場
合「池上線」のイメージがどうしてもつきまとっていたのも事実だが、それとは
別に新しい自分を模索し、以前から思っていた自分のやりたい音楽をめざした
のではないか? もっとも受け入れ側である今までのファンにとっては、この
新しい傾向の歌に多少なりともとまどいを感じたことも否めないが・・・・。
この頃から、ちまたで良くも悪くも「池上線」の西島三重子、西島三重子の
「池上線」といわれ続けたことに重荷に感じ始めるようになっていた。実際、
インタビューではいつも「池上線」に関することが多かった。「池上線」の影に
引きずられている自分、そこから超えられないのではないかと・・・。
 そして、テイチクに移籍を機に彼女は「池上線」のイメージからの脱皮を試み
たのではないか。この頃のステージでは「池上線」を意識的に歌わなくなって
いた。
 
 新LPのタイトル曲でもある「Bye−Bye」が下位ながらもオリコンチャートに
載るようになった。このLPからわずか10カ月後、LP6作目「LOST HOUR」
の発表に相前後して、東京12チャンネル(現TV東京)深夜のテイチク提供
の音楽番組「グラスハウス80」に数回にわたって出演するようになると知名
度も上がりファンも着実に増えた。やはりTVの影響は大きい。ややおおげさ
かもしれないが「LOST HOUR」はワーナー時代とは完全に一線を画した
作といえるだろう。曲調も前作「Bye−Bye」からより鮮明にポップス調に変
化したのである。また、それに伴いタイトル名も横文字が増えた。あくまでも
基本姿勢は変えていない、と彼女は考えていたのかもしれないが、今まで三
重子の歌のイメージに固執するファンと、新しい西島三重子を受け入れる声と
が入り交じった時期でもあっただろう。そして彼女を取り囲むスタッフは、それ
はそれでいいと思ったのかもしれない。彼女は、オリジナルな音楽をやりたい
という意欲が、その頃の彼女を包んでいたのではないだろうか。どんな曲を書
いても、西島三重子らしさは失わないと・・・・。
 当時毎日のようにブラウン管に登場するスターとは較ぶべくもないが、変わ
らない根強い人気があったことは確かだ。浮き沈みの激しい厳しい音楽界で、
そして、目移りしやすいファン気質が多い中で、ここまで続けてこれたのは偏
にこのような暖かい支持に励まされたためでもあった。

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