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移籍第1号として作られたのが81年1月発売のLP「BYE−BYE」だった
。ここではワーナー時代の曲に比べてすこし変化のある2曲が発表された。
タイトル曲にもなっている「Bye−Bye」と「あきらめてサンバ」でポップス調の
ややアップテンポな曲である。当時は既にニューミュージックのジャンルが確
立されており、フォークは死語になりつつあった。俗に言うノリの時代で、明る
いりズミックな歌が巷に出始めた頃である。別に時代の流れに迎合し翔ぼう
としたのではないだろうが、積極的な気持ちもあったのであろう。三重子の場
合「池上線」のイメージがどうしてもつきまとっていたのも事実だが、それとは
別に新しい自分を模索し、以前から思っていた自分のやりたい音楽をめざした
のではないか? もっとも受け入れ側である今までのファンにとっては、この
新しい傾向の歌に多少なりともとまどいを感じたことも否めないが・・・・。
この頃から、ちまたで良くも悪くも「池上線」の西島三重子、西島三重子の
「池上線」といわれ続けたことに重荷に感じ始めるようになっていた。実際、
インタビューではいつも「池上線」に関することが多かった。「池上線」の影に
引きずられている自分、そこから超えられないのではないかと・・・。
そして、テイチクに移籍を機に彼女は「池上線」のイメージからの脱皮を試み
たのではないか。この頃のステージでは「池上線」を意識的に歌わなくなって
いた。
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