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「西島三重子物語」その5(三枚目のアルバム)
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ところがある日、三重子の実家にワーナーパイオニアの制作部長だった青柳氏か
ら電話が入り「アーチストというのはわがままでいいんだよ。もう一度、レコード
だけでもいいから一緒に作っていこうよ!」と手を差し伸べてきたのだ。
ワーナーパイオニアとしては、三重子の才能を高く評価していたのだ。もやもや
していた三重子は、この一言に励まされ何かをつかんだように思えた。
「もう一度やってみよう!」それでダメだったらキッパリあきらめよう。そして
、三重子の復帰作となる3枚目のアルバム「かもめより白い心で・・・」を制作す
ることになった。
このアルバムを制作するためにディレクターも若手の庵氏となり、庵氏はスタッ
フとして「古井戸」で活躍中だった加奈崎芳太郎氏を招いた。その加奈崎氏が作詞
家として連れてきたのが門谷憲二氏だった。その他に「古井戸」のマネージャー兼
プロデュ−サーの村上優氏を迎えた。
三重子も含めて初めてスタッフ会談が行われた。そして、新しいアルバム作りが
開始された。
三重子にとってのある意味での再起を図るべく、3枚目のアルバム作りに、制作
部長の青柳氏やディレクターの庵氏と幾度となくミーティングを重ねた。
今回はプロジェクトチームを組んで制作しようという庵氏の提案で、作詞家の門
谷憲二氏、古井戸の加奈崎芳太郎氏、同プロデューサーの村上氏らを迎え、三重子
も含めた5人が企画、制作することになった。そして、この際合宿しようというこ
とで78年のまだ雪深い2月の長野県・蓼科高原が選ばれた。
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ここで門谷憲二氏との出会いで、後の門谷・西島の名コンビが誕生した。いい曲
があったとしても、詩が良くないとその良さが生かされないし、またその逆も言え
るだろう。三重子自身は門谷氏の繊細な詩に制作意欲を大いに触発され、門谷氏も
三重子の曲をとても気に入ってくれた。ちなみに二人の記念すべき第一号作品は「
花いちもんめ」であった。
ここでアルバムにプロデューススタッフとして参加した加奈崎氏が、三重子の印
象を次のように書いているので紹介しよう。
「彼女に関しての知識は、レコードジャケットの顔を見た程度で、どんな娘なの
やら見当もつかなかった。実際に会った彼女は思ったよりもずっと小柄で、まだテ
ィ−ンエイジャーのようで、歌を作ったり、歌ったりする女性フォークシンガーに
よくあるような雰囲気もなく、本当にごく普通の女の娘のようだった。
自分達(古井戸)以外のレコード制作はこれまでに一度もなかった僕にますます
強い興味と胸震える不安(この娘にLPレコードが作れるのかな)を募らさせたの
です。
しかし、一方男4人の勝手な評価に耐え、4小節のメロディーを何度も何度も作
りかえ、ギター1本、カセット1個にしがみつくみーちゃんはいつ泣き出すか、い
つ投げだすかと意地悪く待っていた僕の期待を見事に裏切り一曲一曲信州の澄んだ
空気の中で、じっと雪どけ水の音を聴きながら、部屋の中で一人くちびるをかみし
めながらも完成させ(彼女はノートの曲目表に全員のOKが出る度にひとつずつ赤
丸をつけていたのです)僕達を歓喜させた。」
(LP「かもめより白い心で」のライナーより引用) |
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このLPの中には数々の傑作が次々と作られた。タイトル曲にもなった「かもめ
より白い心で」そして「仮縫い」「想い出づくり」・・・。三重子にとって、この
合宿の経験は忘れられない思い出となり、今まで心の中にあった不安や焦りが完全
に吹っ切れ、新しい希望に燃え、新たなスタートが切れるような予感がした。
しばらくの間ブランクのあった三重子だが、ひとつ気になっていたのは、「今ま
で私のレコードを聴いてくれたファンの人達から、もうとっくに忘れられたのじゃ
ないかしら」ということだ。しかし、三重子のそんな心配は全くの無用であった。
ちゃんと三重子のファンは見捨てずに、あたたかく、辛抱強く、この日を首長くし
て待っていたのである。
ファンというものはありがたいものである。だが、もともとファンというのは移
り気なもので、次から次へと新しいものを求めたがり、過去のものには振り向かな
いのだが、そこが他の人気歌手との大きな違いでもあった。
三重子は、まず、コンサート活動を中心にこなしていった。と同じに作曲の方に
も力をいれていって、作詞家の門谷憲二氏とのコンビも息がピッタリうまくかみあ
って、さほど苦労もせずに次々とできた。また他の人の作曲の依頼もどんどん入る
ようになり、そのジャンルもさまざまで、自分の曲とは違って自分を意識せずに他
の歌手に合わせて作れるので気楽に作ることができたし、また三重子自身にとって
もとても勉強になった。
あるコンサートで三重子は、こいう感想をもらしている。「私が歌をまた歌い始
めてから、ぼちぼちとファンレターも来るようになりました。その中に、あなたの
歌で人生の中を生きているというか、そういうことがありありとわかり、とても
感動しました。もう一回歌い始めて本当によかったなぁとつくづくと思いました。
私は特に主義とか主張は持っていませんけど、ただ歌が好きで、歌ったり曲を作
ったりするのが好きなだけです。そしてその人の心を何かうつものがあったのなら
ばこんな幸せなことはありません。」と、これが偽らざる正直な三重子の気持ちで
あった。
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