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「西島三重子物語」その2(デビュー直前)
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三重子が「カウンセラーズ」にヴォーカルとして参加してからは、自分でも見
よう見真似に作曲を試みていた。だが、やってみたら意外と簡単にできたという。
「なぁーんだ!これだったら私にもできそうだ」と、自信がつきどんどん作曲を
をしていた頃である。そんな時期に「カウンセラーズ」のメンバーが活動資金が欲
しいからどこかのオーディションに出てみようよと誘われたが、三重子自身は人前
に出て歌うのはイヤだったし、恥ずかしいからと断っていた。
この「カウンセラーズ」に参加した際も、たまたまヴォーカルがいなかったので
手伝いとして軽い気持ちで入ったぐらいだ。
ところが、メンバーの一人が昭和49年にオープンした渋谷西武チャオパルコ主
催の「サウンド・フェスティバル」があるのを見つけ勝手に応募してしまったのだ。
これを知った三重子は、とても気が進まなかったが、楽器や資金集めとグループ
のためと仕方なく出場する羽目になってしまったのである。
さて、当日の出場曲は三重子が作曲を始めてから5〜6曲目ぐらいに作った「の
んだくれ」を歌ったが、これが見事にグランプリを受賞してしまったのである。
メンバーにやや得意げな三重子だったが、この出来事をきっかけに三重子の運命を
大きく変えてしまうとは全く知る由もなかった。
当日の「サウンド・フェスティバル」の審査員として出席していたワーナーパイ
オニアのディレクター氏の目にとまり、にわかに三重子に注目していたのである。
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さて、当日の出場曲は三重子が作曲を始めてから5〜6曲目ぐらいに作った「の
んだくれ」を歌ったが、これが見事にグランプリを受賞してしまったのである。
メンバーにやや得意げな三重子だったが、この出来事をきっかけに三重子の運命を
大きく変えてしまうとは全く知る由もなかった。
当日の「サウンド・フェスティバル」の審査員として出席していたワーナーパイ
オニアのディレクター氏の目にとまり、にわかに三重子に注目していたのである。
後日、三重子の家にそのディレクター氏から電話がかかってきて「今度、スタジ
オに遊びに来なさい」と、言われた。その話を聞いたメンバーが、スタジオの偵察
に行って来て、その際に自分たちが作曲したデモテープを聴いてもらってくれ!
と、次々に三重子に押し付けられた。早い話が売り込みの絶好のチャンスだと思っ
たのだろう。レコード会社のスタジオなど一般の人は今も昔も簡単に入れる所では
ない。思わぬ展開に三重子は、判断に悩んだが「それじゃ、皆を代表して見学に行
って来るわ」とデモテープを持参してスタジオに出かけることになった。 |
ディレクター氏に「デモテープを聴いてください!」とお願いをしたが、最初か
ら無視され、けっきょく全然聴いてくれなかったという。
三重子は、ディレクター氏から好きな歌があれば歌ってみなさいと言われ、10
数曲ぐらい小柳ルミ子や天地真理ら、それこそフォークから演歌まで歌わせてくれ
た。そして、帰り際にまた今度来る時は、自分で作曲した曲があれば持って来なさ
いと言われた。この言葉を聞いて三重子は、ひょっとしたら自分が作曲した歌を当
時所属していた小柳ルミ子なんかに歌わせてくれるのかなと内心思っていた。
しかし、何度か持って行くうちにその都度、ディレクター氏などや他のスタッフ
の人たちに怒鳴られることが多くなっていた。
「何で私がこの人たちに、こんなに怒られなくてはいけないんだろう」と、三重子
はだんだん不審に感じていた。「そのうちに私もなぜか責任感を感じてしまい、も
っとうまく歌わなければと思ったのね(笑い)」ところが、あとで聞いたら何とこ
れがオーディションだったのである。
そして、後日になって「今度レコーディングが決まったよ」と、そのディレクタ
ー氏から言われ「え、誰のですか」と答えた。まさか自分の事とは思わなかった。
エー!? ウッソー!(と本人が言ったかは定かではない)こうして歌手になる
第一の関門であるオーディションに難なく合格してしまったのである。現在では信
じられない嘘みたいな話ではある。これはとんでもない事になってしまい、もちろ
ん何の心の準備ができてなかった三重子は困惑した。とりあえず親に相談するから
少し待って欲しいと、とりあえず保留をした。 |
三重子の両親は、芸能界というとひきつけを起こすような家風であり、全く縁の
ない話だから当然断ってくれるものと内心期待していた。三重子からこの話を聞い
た両親はびっくり仰天し、もちろん当初はこぞって反対した。・・・ところがであ
る。なんとなくその場は妥協した形になってしまったのである。どうせ、ものには
ならないだろうから、いい経験になると思ったかどうかは知らないが。但し、お嫁
に行くまでという条件付であった。
三重子は、この予想外の結果に戸惑いを感じた。当然である。もともと芸能界は
全く興味がなくただ歌が好きだっただけである。しばらく思い考え悩んだが、心の
中では歌手をやってみようかと決心を固めつつあった。もちろん歌手としてやってい
く自信など全くなかったが、いい経験になり若さに任せての大決断をした。 |

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