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その一(生い立ち、デビュー以前)
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西島三重子(本名)昭和25年8月17日生れ。東京出身。西島三重子といえば
「池上線」。ファンの人たちの中には、東急池上線の沿線に住んでいるのだろうと
思っている人もいるかもしれないが、実は最も身近なのは西武新宿線なのである。
三重子の実家は、コンサート会場として有名な中野サンプラザの近くにある。
JR中央線の中野駅からだと少し歩くが、西武新宿線の新井薬師前駅の方が近い。
近くに歴史の古い新井薬師寺が構えている。毎年、初詣客が新井薬師前駅より
ゾロゾロ降りる光景を知っている人にはもうおなじみである。
また少し行くと中野の名所として名高い中野哲学堂がある。ここは新宿にも近く
交通の便もよく都心にしては比較的緑の多いところでもある。
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左が池上線、右が同名のスナック |
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スナック「池上線」 |
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彼女の実家は新井薬師寺に近い西島畜産店という肉屋さんである。ごく普通の
商店街の一角にある。兄弟は5人で3女である。学校はどういうわけか彼女だけが
私立で、小学校から短大まで東京・豊島区にある川村学園に14年間通った。西
武新宿線の新井薬師前駅から高田馬場駅で山手線に乗り換えて次の駅がJR目
白駅である。この駅から数分歩くと川村学園が見えてくる。すぐ向かい側が学習院
である。目の前の通りが彼女の歌にもある、あの「目白通り」で、そこから7、8分
歩くと「池上線」の次に人気のある「千登勢橋」がある。もっとも正確には「千歳橋」
が正解だが。
東京の西島三重子のファンは必ず一回は行って見るといわれる?千登勢橋だが、
確かにその下には明治通り、歌詞にあるようにすぐそばをのんびりと都電が走って
いる。地域の紹介はこのくらいにしよう。
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川村学園と目白通り |
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千登世橋の下(明治通り) |
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さて、三重子の少女時代だが、学校が私立だったために近所に友達が少なくて
一人で遊んでいることが多かった。元々、芯の強いところもあった彼女だったが、
だんだんと素直でおとなしい女の子になっていた。おまけに女だけの学校である。
「ボーイフレンドもいない青春を過ごし暗闇の青春でしたねェ」と彼女は笑う。
高校を卒業すると、同じく川村学園の短期大学の家政科へと進む。三重子の学生
時代は、よくバイトに精を出していたらしい。選挙カーのウグイス嬢などもやったこ
とがあるという。短大を卒業し、「栄養師の免状を取り、親を安心させることもでき
たし」子供の頃から好きだった絵の勉強がしたくて、埼玉にある和光大学芸術学
科に入学した。なお、和光大学は卒業せずに中途退学した。
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千登世橋(左側)と都電 |
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「千登世橋」 |
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三重子の姉たちが、洋楽が好きでやれエルビス・プレスりーとか、ポール・アン
カがいいとか熱中していたのを見て多少影響も受けていたのだろう。高校生の時
に初めてギターを持った。絵も好きだったが、歌も好きだった彼女の背景には、ビ
ートルズの時代があり、また日本ではG・S(グループサウンズ)の下火とともに現
われつつあったフォークソングや、それに続くニューミュージックというものがあ
った。彼女の本格的な音楽との接点は、彼女がボーイフレンドもいない、何ごとに
も奥手だったのを姉たちが見るに見かねて、友人がやっていたプロ指向のアマチ
ュア作詞・作曲家グループ「カウンセラ−ズ」を紹介し、ヴォーカルとして参加させ
てもらったことにある。この「カウンセラーズ」はプロになることを夢見ていたが
三重子にとってはたんなる趣味に過ぎなかった。彼女のプロ歌手として現在があ
るのは、この「カウンセラーズ」がきっかけであったが、もちろん三重子は当時そん
な事は考えもしなかったのである。だが、そんなある日、彼女にとって運命的とい
うか、一生を左右するような出来事が待っていたのである。
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