アンドレ・プレヴィン〜キング・サイズ! I'll Remember April" (Gene de Paul, Patricia
Johnston, Don Raye) - 6:24 "Much Too Late" (André Previn) - 9:26 "You'd Be So Nice to Come Home To" (Cole
Porter) - 6:59
"It Could Happen to You" (Jimmy Van Heusen, Johnny Burke) - 5:52 "Low and Inside" (André Previn) - 8:57 "I'm Beginning to See the Light" (Duke
Ellington, Don George, Johnny Hodges, Harry James) - 8:00
1曲目の「四月の思い出(I'll Remember
April)」と最後の「希望の光が見えてきた(I'm Beginning to See the
Light)」の2曲がなんとなくジャケットのライオンに託されているような気がします。百獣の王ライオンの如く正々堂々と正面からジャズ界に殴り込みをかける意気込みとその裏に隠されたトボケ顔のライオン。
アルバム最後の曲「希望の光がみえてきた(I'm Beginning to See the
Light)」はデューク・エリントン作曲の名曲。この曲を聴くと、3人は一段ギアをアップさせているような感じを受けます。プレヴィンの縦横無尽に飛び跳ねるピアノは不思議とその冴えた技からは冷たい感じは受けません。タッチの変化も見せているからでしょうか、むしろ聴き心地のいい親しみやすさを感じさせます。1曲目からじっと我慢してきたキャップのドラムスも待っていましたとばかりノリのいい合いの手を入れています。このトリオのとっておきのパフォーマンスをアルバムの最後に持ってくるところはさすがです。名曲をオーソドックスなスタイルでアレンジし3人の主張をきっちり行なう王道を行きながら、聴き手を引き寄せる魅力に溢れた仕上がりとなっています。尻尾を振る愛嬌のあるライオンの意味をここで知らされるというところもユニークなアルバムと言えないでしょうか。
アルバムの2曲目のプレヴィン自作「あまりに遅すぎる(Much Too
Late)」は、あらゆるジャズの要素が盛り込まれ、随所にちりばめられたピアノの煌きはもちろん、曲の構成における起承転結の粋なところから、ジャズ・ピアノ・トリオ屈指の名曲と私は信じています。キャップの絶妙なブラシに乗ってプレヴィンのピアノは静かなワンハンド奏法から始まり次第に響きの厚みを増しつつ盛り上がりを見せていきます。しかし、スローなブルースを基本としたこの曲のテイストは常に維持されるところはプレヴィンの安定した指さばきに拠るのでしょう。音楽はその後次第に静まっていき、いつの間にかベースに受け渡されていきます。苦みばしった低音の響きを聴かせながらも新たな素材を匂わせるところは賛否が分かれるところかもしれませんが、プレヴィンはときおり左端近くの鍵盤を触れることでミッチェルを見事にサポートします。ベースはその表現の幅が少ないため技巧に走る傾向がありますが、ミッチェルはそのギリギリのところでとどまるところが何とも奥ゆかしい。最後は冒頭のテーマが静かに再現されて静かに曲を閉じます。米国のジャズ評論家ナット・ヘントフ(Nat
Hentoff)によるライナーノートには「Much Too
Late は夜の終わりのブルースであり、プレヴィンの最高で最もベーシックなジャズ演奏に加えて、ミッチェルのパワフルでクラシックなソロが魅力だ」と書かれています。
3曲目は、言わずと知れたジャズ屈指の名曲、「君のもとへ帰れたら嬉しくないか(You'd Be So Nice to Come Home
To)」。題名の邦訳は私のオリジナルですが、第二次大戦中のさなか男が彼女に言う決めセリフとしてはこれくらいの強気がいいのでは。プレヴィンのピアノも最初は大人しくしていますが次第に切れ味の鋭さを見せ始め、ミッチェルの確信に満ちた足取りが曲を引き締めています。しかし、ジャズ・ヴォーカルの名曲をインスツルメンタルでリメイクしていくのは、聴き手の先入観や期待感にも対抗しなくてはならないため極めて難しい作業となります。この曲を彼らの演奏で聴かなければならないというほどの演奏までにはなっていないかもしれません。ただ、プレヴィンらは声高にオリジナル・テーマを掻きたてることもなく、各自のスキルを見せびらかすこともない、終始落ち着いた演奏を進めているところは好感が持てます。
5曲目の「ロー・アンド・インサイドLow and
Inside」もプレヴィン自作のブルースで、野球用語では「インコース低め」となります。前年の1957年に『ダブル・プレイ!〜アンドレ・プレヴィン&ラス・フリーマン』という野球に引っ掛けたアルバムをリリースしていますから、プレヴィンは意外にも野球ファンだったのかもしれません。ここではベースの低音とピアノの内向的な面を追及した曲ということと、誰も打てないインコース低め、誰にも作曲できない傑作とプレヴィンは言いたいのかもしれません。ここでのプレヴィンは即興的なノリで、ひたすら心地の良い爪弾きを聴かせてくれます。そのピアノに寄り添うベースはこれしかないと言えるほど見事なもので、まさに奏者を想定して作曲されたということを確信させます。ナット・ヘントフは「ミッチェルの素晴らしい管楽器のような(in
its horn-like conception)ベースのソロ」と絶賛しています。