ぜっしゃか! −私立四ツ輪女子学院絶滅危惧車学科−

 20歳あたりだから1985年から5年間ほど、1975年(昭和50年)型のスカイライン2000GT、すなわりケンメリの4ドアに乗っていた。従兄弟が乗っていたものをもう乗らないからと回してくれたもので、ショックがコニに変えられていてとても硬く、ちょっとした路面の凸凹が伝わって乗り心地はハードだったけれど、カーブなどで深く沈み込んで足を引っ張ることなくきびきびと走ってくれたし、いじってあったのかL20型のエンジンもしっかりと回ってくれて、1トンを越える重量を持った車を坂道でもしっかりと引っ張ってくれた。

 とはいえ面倒ごとも多かった。エンジンオイルやオイルフィルターを定期的に交換する必要があったし、キャブレターに空気を送り込む場所に取り付けるエアフィルターの交換も必要で、そうしたパーツをカーショップに行って探す必要があった。そして10年も走っているとあちらこちらにガタも出ていた。ブレーキは何度か踏まないと効かないことがよくあった。ワイパーもモーターとクランクをつなげる部分が外れて止まってしまうことが頻繁に起こった。フロントガラスの隙間から雨漏りもした。

 一方で、乗っている方も初心者だったため、あちらこちらをぶつけてへこませてしまって綺麗だった車体がボロボロになってしまった。それでも5年間乗り続け、10万キロは走らせたものの東京へと出ることになって車は持っていけず、そのまま廃車にしてしまった。今にして思えば、乗り続けてフルレストアすれば良かったと思っている。旧車、あるいは絶版車と呼ばれる日本の1960年代から70年代の車に対する興味はなかなかに高く、ハコスカのGT−RやフェアレディZ432といった希少な車だけでなく、ケンメリですら数百万円で取引されているからだ。

 空力が重んじられ、CADの上で無限にいじくり回されながら微調整され、そして合理性から他の車種との共通化も図られるようになった設計の上で生まれてくる今の車はどれも似通っていて、デザイン的に圧倒的な存在感を見せて乗り手を誘うことが少なくなっている。大して1960年代から70年代にかけての車には、格好良さを狙ったデザインから多少の引き算をされた姿で量産化されても、そこにどこか手作りの跡が感じられる。

 スカイラインでいうならサーフラインと呼ばれる、リヤホイールの上に浮き出たラインは空力的にも強度的にもたいした意味はない。それをボディ加工の段階でプレスして浮き上がらせて見た目の上でスタイリッシュな印象を醸し出そうとしている。そうした作り手のこだわりと、そして長く乗って来た人の愛着が重なり合って生まれる情感が、旧車にはあって今改めて人気になっているのかもしれない。単純に子供の頃に憧れた格好良さを、大人になって得た金で再確認しているだけかもしれないけれど。

 そうした大人のノスタルジーを、若い女子高生が感じて入るかは分からない。ただ、せきはんがぜっしゃか、すなわち私立四ツ輪女子学院にあるという、絶滅危惧車学科に入学した女子高生の百瀬莉子が、道ばたでパンクして止まっていたマツダR360クーペに乗っていた老女に話した、「古いクルマって、なんかどうぶつみたいだなって 今のクルマよりちっちゃくて個性的な顔しているし おばあちゃんのクルマもカエルみたいですっごくかわいいですよ」という言葉から感じるに、今の車にはない味がやはり旧車にはあるようだ。

 あと、莉子が続けた「ちゃんと散歩連れて行かないとすぐ調子悪くなっちゃうんだよ おもしろいよね」という言葉には、取扱の面倒さが逆に動物と、あるいは人間といっしょにいるような感じを抱かせて、ずっと寄り添っていたいと旧車に対して思わせる理由が含まれている。そうした言葉が女子高生の口を借り、百瀬莉子らが登場する「ぜっしゃか! −私立四ツ輪女子学院絶滅危惧車学科−」(KADOKAWA、1巻2巻各580円)を描いたせきはんの思いではないととは限らない。ただ、長く乗っていろいろな場所に行った車に思い出を感じる、大好きな身内が大事に乗っていたことでいっしょに愛着を覚えるといったことは、女子高生でも誰でもある。そんな気がする。

 そうした車への思い出を、廃車によって消さずレストアによって蘇らせ、明日へとつなげていくことを目的にした女子高生たちの物語が、「ぜっしゃか! −私立四ツ輪女子学院絶滅危惧車学科−」だ。スズキフロンテクーペでありスバルサンバーであり、ハコスカと呼ばれるスカイライン2000GTの4ドアセダンでありスバル360であり、マツダコスモスポーツであり後期型いすゞベレットGT TyepRといった大人が聞けば懐かしい車がずらずらと登場していて、可愛らしい女子高生たちのキャラクターとは対照的に、どこまでも正確なディテールで絵にされていて、そこからも莉子がいうような個性を感じ取れる。そして、物語の中で故障が起こり、チョークを引っ張らなければエンジンがかからないような描写を通して、取扱の厄介さと、それとは裏腹の一手間かける愛着を覚えさせる。

 誰もが旧車への愛情を見せる訳ではない。新型のポルシェにのって、納屋に放って置かれたスバル360をレストアしてもらい売り飛ばそうと言う若い人間も登場して、そういう人間が大半であり、だからこそ自動車産業も回るのだろうとも思わせる。ただ、先輩のクレアが莉子に贈ったどこか不思議なゴーグルを通して、過去にポルシェのオーナーがスバル360の故障を直す父親の後ろで起こっている場面が見えたことで、反意ではあっても思い出があったことは伺える。そうした思い出を改めて感じ取ってもらうため、女子高生たちはレストアに挑む。見てポルシェのオーナーが何を感じるか。分からないけれども読んだ誰かは捨てようと思っていた何かを手元に残しておきたいと考え直すかもしれない。それで良いのだ。

 環境問題を考えるなら、燃費が悪くて排気ガスにも汚染物質が多い旧車は決して歓迎できるものではない。ただ、近隣を転がして楽しむ程度の範囲ならそうした問題も大きくはならない。車が若い人に売れない時代に、何が車の魅力なのかを感じてもらうといった面が旧車にあるなら、そこを基点にして考えていくきっかけにはなるだろう。

 決して日本の旧車への愛一辺倒ではなく、ヘリテージカーと呼ばれる海外の、クラシックカーよりはやや新しい旧車を担当する学科の存在も描いて、バンデンプラスプリンセスなりフィアット600ムリティプラといった車にも良さがあって、それらを愛する人たちがいることを紹介している。普通に新しい自動車を作ろうとしている人たち、自動運転技術に挑もうという人たちもいて、それぞれが車への思いと憧れを持って取り組んでいる姿を見せてくれる。それはそれで素晴らしい。旧車愛だけでは車は産業として動かないし、道具としても対価してしまう。

 そうした車への再認識を抱かせつつ、それでも旧車へと向き合う気持があるとしたら、それはどういった部分からわき出るものなのか。そんなことを「ぜっしゃか! −私立四ツ輪女子学院絶滅危惧車学科−」という漫画は考えさせてくれる。読んでもし、旧車、絶版車、ノスタルジックカーといったカテゴリーに対する興味が浮かんだのなら、注意して当りを見渡し、街中にあるそうした車、草むらで錆び付いているそうした車を見つけてどこが面白いのかを感じてみよう。機会があるなら乗ってみると良い。きっと思うから。

 扱いづらいと。でもそれが良いのだと。


積ん読パラダイスへ戻る