ゼロから始める魔法の書

 「我は死なり。世界の破壊者なり」

 第二次世界大戦の最中、アメリカ合衆国の要請で原子爆弾を開発したロバート・オッペンハイマー博士は、ニューメキシコで行われた核実験がもたらしたすさまじい破壊を見て、ヒンドゥー教の聖典にある、そんな一節を思い浮かべたという。

 自分はなんと恐ろしいものを作り上げてしまったのか。その思いは、1945年8月6日の広島、そして8月9日の長崎への原爆投下がもたらした死と破壊の惨状を見て、確信へと変わった。

 人類のためにと思って作り上げ、送り出したテクノロジーは、人類を滅亡の縁へと追いやる災厄だった。そう知ったオッペンハイマーは、原爆開発の功績を認められ、トルーマン大統領に招かれてホワイトハウスを訪れた時も、握手を求めてきた大統領に自戒の気持ちを告げた。

 これによって大統領から疎んじられたオッペンハイマーは、水素爆弾の開発に反対し、公職を追放されて表舞台から姿を消し、そのまま生涯を終える。それでも曲がることなく、オッペンハイマーが抱き続けた葛藤と後悔の念は、『魔法』というテクノロジーを世に送り出したゼロという魔女の心に渦巻く、複雑な想いとも重なる。

 虎走かけるの「ゼロから始める魔法の書」(電撃文庫、590円)に登場するヒロイン。彼女は『魔術』のように小難しい段取りを必要とせず、簡単な言動で異能の力を発動させることができる『魔法』を生み出した。

 暖をとるために簡単に火がともせたら暮らしが楽になる。力を使わないでものを動かせたら耕作も工事も大きくはかどる。そんな思いから『魔法』を生み出し、【ゼロの書】という本に記したゼロ。その本が彼女の暮らす穴蔵から盗み出されてしまったことで、世界の様相は一変する。

 料理のために魚や獣を焼く『魔法』は、弾圧や戦争のために人を焼ける。山林を切り開いて田畑を耕す『魔法』は、城塞や家々をも破壊する。『魔法』の力を武器に使い、暴虐な振る舞いをする悪い魔女たちも現れ始めた世界では、『魔法』を使わない人類と魔女たちとの対立が深まり、殺し殺される戦いへと突き進もうとしていた。

 盗まれた【ゼロの書】を取り戻しに穴蔵から外に出て、『魔法』が災厄を引き起こし、人類の間に憎しみの感情を募らせている様を見て、ゼロはいったい何を思ったのだろう。なんとしてでも【ゼロの書】を取り戻さなくてはならない。そう考えてゼロは【ゼロの書】を取り戻そうと旅に出る。

 そこでゼロは、過去に魔女が使った『魔術』が血筋に返って半獣半人として生まれ、傭兵となった男と出会い、かつて同じ穴蔵に暮らしていながら、先に出ていった十三番という同胞の魔法使いを見つけようとする。途中に『魔術』や『魔法』を使う少年とも出会い、連れだって旅をした先で一行は知ることになる。『魔法』の利便と害悪を。そして世界を強引に糺そうとする企みを。

 ゼロの生み出した『魔法』によってもたらされた世界の有り様から問いかけられるのは、便利でありながら恐怖でもある文明の両刃ぶり。そして理性と情念の間で乱れ惑う人類の脆弱ぶり。人類が火を手にしてから、あるいは道具を使うようになってから延々と繰り返されて来た、ともすれば人類の根元へと迫る重たいテーマがそこにある。

 もっとも、そうした重たさを抱きながらも、ライトノベルとして軽妙で情感にあふれた人物描写を楽しめるのが、この「ゼロから始める魔法の書」という物語だ。半人半獣の傭兵が、自分を生け贄にしようとする魔女の存在を毛嫌いしながらも、自分を頼るゼロに惹かれるようになり、けれども仲違いをしつつ、やっぱり忘れられられない関係性。ゼロの方でも仲間を得た嬉しさを隠し、冷徹に振る舞おうとする複雑な心情が綴られる。

 読み終えた時に人は思うだろう。ゼロの靴下を古着屋の店主はもらえたのかと。違う、たとえ己の分を超えた力を得ようとも、逆に誰かが自分たちを虐げようとも、自分を見失わなず他人を慈しんで生きようとする意志の大切さを。

 『魔法』はある程度抑制できたものの、すでに世界にひろまった『魔法』のすべてはうち消せない。誰かが悪い心根をもって発動させれば混乱が起こり、被害が出てそれに対抗しようと立ち上がるものたちが現れ、混乱の輪は広がるばかり。だからゼロと半獣半人の傭兵は旅を続け、『魔法』を良き方向へと導こうとあがき続ける。

 その姿に現代を生きる人類も学びたい。現実世界に広がった科学という『魔法』は誰によってもうち消せず、広まっては憎しみの連鎖を生むばかり。そこに打ち込まれる楔として、なにが必要なのかということを。自制であり、過去の惨状を振り返って己のことと認める気概が求められているだということを。

 惨状を忘れ去って敗北感だけを増大させ、仕返しをもくろむ輩のはびこり始めた現在だからこそ、読まれるべき物語だ。  


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