豊かに実る灰

 平井和正や栗本薫は、物語を書くときによく「言霊」という存在を口にする。曰く「言霊は常に意表をつく。作家本人に先の展開が読めないのはそのためだ」(平井和正著「月光魔術團」あとがきより)。なにか別の存在に衝き動かされて、平井和正は情念あふれる傑作群を産みだし、栗本薫は稀代のサーガを紡ぎ出している。

 彼や彼女のように選ばれた者は数少ない。いまだ見ぬ傑作を物にせんと、降臨する「言霊」をひたすら待ち続けて幾年月が流れたろうか。くゆらせた煙草の本数、飲み干した珈琲とバーボンの分量、そして読み果てた本の数々は、いずれもわが身に「言霊」を召喚するに足る供物ではなかった。

 ならば。とここで気がつく。いっこうに降臨しない「言霊」を待つのではなく、こちらから「言霊」を呼び出してやればいいではないか。さっそく、引き出しから青いケースに入ったタロットカードを取り出し、机の上に並べ始めた。物語の舞台と、年代と、登場人物と、起こりゆくエピソードの数々は、すべてこのカードが導き出してくれる。表面に描かれた、愚者や魔術師や運命の輪や死神らの、ときには正しく、ときには逆転して描かれた絵を見ながら、偶然という名の運命に物語の行く末をゆだねる。

 「占:マドモアゼル朱鷺」と表紙に書かれた、いとうせいこうの小説「豊かに実る灰」(マガジンハウス、1500円)を見たとき、「言霊」の降臨を待ちきれない作家が、ルーレットを回して出た目の数だけ進むことのできる「人生ゲーム」の方法論を、小説に取り入れてみたのだろうと思った。しかし冒頭の「面倒な説明」というタイトルの「まえがき」を読むに連れて、いとうせいこうが実はマドモアゼル朱鷺という依代を媒介に、内なる「言霊」を呼び出そうとしていたことに気がついた。

 マドモアゼル朱鷺のタロットによって時間と空間が決められ、ストーリーまでもが示唆される。いとうせいこうは彼女の「言霊」をわが身の「言霊」と添わせ闘わせしつつ、1996年から2015年以降へと至る、13章の未来の物語を紡ぎだした。

 地中海のある島で、2人の男女がお互いの不思議な体験を紙にかいて読み上げ、読み終わったら燃やすという、儀式めいたやりとりによって12章が語られる。殺された兄の妻だった女がナポレオンの血を引く双子の子供を生む話、老いて人生を見失った老人に未来をゆだねられる話、メキシコのティオティワカンで出会った裸で踊る少女、東京のホテルに滞在しているアラビア人の高官の美しい娘。タロットの絵の神秘的で幻想的なイメージが、物語として置き換えられてもなお、全編に色濃くその影を落としている。

 交互に語られた12章を読み終え、最後の13章に進んだとき、未来をゆだねたタロットが紡ぎ出したものが、美しく悲しい過去の物語だったことに気がつき、涙する。占いは未来を示唆しても、過去を変えることだけは絶対にできない。悲しくも正しい心理を前に、今をしっかりと、そして未来を見据えて生きていくしかないのだということを、この本から教えられる。


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