ユルスナールの靴

 気になっているのに、なかなか手にとることの出来ない作家って、誰でも1人くらいいると思います。僕にとって、村上春樹がそうでした。「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」がハードカバーで出てちょっとばかり話題になり、それから「ノルフェイの森」や「ダンス・ダンス・ダンス」が立て続けに出た頃。山積みになった本を眺めながら、読みたいなあ、でも流行っている、流行りすぎてる本を読むのってなんか恥ずかしいなあと思って、なかなか手にとることができずにいました。

 エッセイストでイタリア文学の翻訳家としても知られる須賀敦子さんは、マルグリット・ユルスナールをなかなか手に取ることが出来ずにいたそうです。「だれの周囲にも、たぶん、名前は以前から耳にしていても、じっさいには読む機会にめぐりあうことなく、歳月がすぎるといった作家や作品はたくさんあるだろう。そのあいだも、その人の名や作品についての文章を読んだり、それらが話にでたりするたびに、じっさいの作品を読んでみたい衝動あうごめいても、そこに至らないまま時間はすぎる。自分と本とのあいだがどうしても埋まらないのだ」(「ユルスナールの靴」河出書房新社、1600円)。

 マルグリットが花の名前で、ユルスナールが「ユレル」「ユスル」という日本語を連想させるというのが、須賀さんがユルスナールに惹かれた一因だそうです。けれども実際に本を手に取るようになったのは、わずかに10年前くらいのこと。どうしても埋まらなかった「自分と本とのあいだ」が、女性の書く自伝について話した友人の、「どうしても、これをきみに読ませたい」という言葉によって、ふっと埋まってしまったそうです。

 意識しながらもつかず離れずの関係を長く続けて来た反動なのでしょうか。読む作品の幅を広げるだけでなく、やがてはアメリカのマウント・デザート島にある、ユルスナールが亡くなるまで住んでいた家を訪ねるまでになります。なにしろこの「ユルスナールの靴」という本にしてからが、全編、ユルスナールに関する須賀さんの文章を集めたエッセイ集なのです。たった1人の作家について、自分の身辺雑記を絡めたエッセイを何編も書き、全編を通読すると、ユルスナールの立派な評伝にもなっている。よほどユルスナールのことが好きではないと、これだけの内容のある文章は書けません。

 様々な場所で須賀さんはユルスナールの面影や足跡を意識します。ローマにあるハドリアヌス帝の廟墓でも、同じくローマにあるヴィラ・アルバーニでも、アテネにあるテセイオンでも、そしてもちろんマウント・デザート島でも。裕福な家庭に生まれながら、早くに親と死別したユルスナールは、遺産によって暮らしながら文章を書き始め、第2次大戦下のフランスを離れて避難したアメリカに、亡くなるまで住み続けることになったユルスナールの生涯に、自身のこれまでの人生や、様々な場所で様々な人たちによって与えられた経験を重ね合わせて、思いを巡らします。

 「ミラノ霧の風景」「コルシア書店の仲間たち」「ヴェネツィアの宿」「トリエステの坂道」と、過去に4冊の自伝風・私小説風エッセイ集を刊行している須賀さんですが、「ユルスナールの靴」には、そのいずれとも違った雰囲気があります。たぶんそれは、ユルスナールを通して自身をかたり、自身を通してユルスナールを語るという、私小説でもエッセイでもなければ評伝でもない、けれどもそのどちらの要素も満たしているという、希有な作品に仕上がっていることに依るものだと思います。

 文章は見事の一語に尽きます。決して複雑なレトリックも、奇をてらった比喩も用いてはいません。ただ淡々と、情景描写を積み重ねていっているだけなのですが、地の文に他人の発した言葉がカッコ書きなしで現れて、情景描写を追うのに精いっぱいだった読み手の気持ちの張りをときほぐし、それから再び、巧妙ではないけれど確実な比喩を交え、淡々とした描写を重ねていきます。そんな文章の緩急が、描写されているローマやギリシアの遺跡とか、バルコニーから見おろした廃墟とかを、頭の中に築き上げるのに、大きな役割を果たしています。

 須賀さんのような文章が書けるのならば、10万円の万年筆であろうと、100万円のワープロであろうと、すぐさま買いに出かけるほどに、僕は須賀さんの文章に心酔しています。

 「コルシア書店の仲間たち」の表紙に使われていた舟越桂さんの彫刻が、僕と須賀さんの本の間と埋めてくれました。僕とユルスナールについては、澁澤龍彦さんの文章も過去に読んだことがありましたが、その時は、博覧強記の澁澤さんが繰り出すめくるめく知識の奔流にのまれて、じっくりと関係を暖めるまでにはいたりませんでした。須賀さんの文章によって、僕とユルスナールとの間が、すこしだけ埋まったような気がします。  


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