百合×薔薇
彼女のための剣と、彼の為の乙女の園

 チャペルの鐘がりんごんと鳴って、学業の始まりと終わりを告げる。出合う教師には誰もが手を前にして、頭を垂れて「ごきげんよう」と挨拶をする。目下の生徒は目上の生徒をお姉さまと慕い、目上は目下を妹として慈しむ。そんな絢爛として華やかな雰囲気にあふれた乙女の園が舞台となった物語と聞けば、誰もが恋情と愛欲を、華麗な言葉に包んで描いた、耽美な世界を思い浮かべるだろう。

 あるいは、究極にして至高のお嬢さま学校に通う、美しさと強さで誰からも崇められ、慕われ、恐れられている姉の企みで、儚げな姿態の弟が、無理矢理にそのお嬢さま学校へと転校させられる羽目となり、当然の如くに女装をさせられ、通わされる設定から、彼が彼女たちの見せるあられもない姿にドギマギとする様を、楽しみほくそ笑むシチュエーションを思い浮かべるかもしれない。

 彼を彼と知らず、彼女として慕う女生徒が現れたり、彼女が彼だと知って近づく女生徒も現れる中を、いつ事が露見するか、その時にどんな波乱が起こるのかを想像しながら、ハラハラとしワクワクとするコミカルなストーリーが繰り広げられるものと、想像するのも避けられない。しかし。

 伊藤ヒロによる「百合×薔薇 彼女のための剣と、彼のための乙女の園」(集英社、590円)は、そのタイトルから浮かぶ耽美で煌めくような学園を舞台に、美男美女たちがデュエルを繰り広げるテレビアニメーションのような物語でもなければ、舞台から想像させられる乙女の園での甘くて淡い恋愛物語でもない。そして、乙女の園に紛れ込んだ女装少年によって引き越される惑乱のコメディでもない。

 冒頭から漂う異様な空気。女装をして、姉の花邑しらゆきが通う国立バーネット女学院に通い始めた弟の花邑べにおは、転入した1年A組の教室で見えた女生徒たちを前にして、いきなり空間より巨大な剣を取り出し、こう宣言する。「この女学院(がっこう)は、僕が支配(しき)ります」。

 そこから物語は、花邑べにおの言葉を何の飛躍とも比喩とも受け取らず、むしろ一種の宣戦布告と真正面から受け止め、クラスの一員から腕に覚えのある者たちが、前へと進み出ては花邑べにおに異能を使ったバトルを仕掛ける展開へと一気に向かう。

 異能。その国立バーネット女学院は、女性のごく一部に発現する“花使い(リリス)”と呼ばれる異能の力を持った少女たちを集め、学ばせる学校で、当然のようにクラスメートたちも全員が何らかのリリスを持っている。とりわけ「君」を付けて呼ばれる強い力の持ち主たちは、花邑べにおの宣言を分をわきまえない挑戦と受け止め、挑み掛かるも花邑べにおの振るう剣に倒される。

 リリス。本来女性だけが使える異能をどうして、男性である花邑べにおが使えたのか。花邑べにおを少女と信じるクラスメートたちは、単純に姉の花邑しらゆきに匹敵する力の持ち主と思い、負けを認めて従ったようだった。けれども学校の中には、権勢を振るった姉の花邑しらゆきを良しと思わず、身辺を調べ上げる者もいた。そして、花邑べにおの力の裏に、2年生でもトップクラスの実力を持ち、1年生の時に上級生100人を相手に戦い、すべてをうち倒した姉の花邑しらゆきがいると結論づける。

 物語は、圧倒的な力をふるい、自身のみならず1年A組のクラスメート達に及び始めた周囲の攻撃を、ひ弱な見かけによらない強い力で退けていく花邑べにおの戦いぶりに感嘆させられる一方で、花邑べにおがしでかしているいんちきへの探索があり、それがうち破られた時にいったい何が起こるのかといった、スリリングな展開を楽しんでいける。

 のみならず、暴かれた謎がさらに謎を呼ぶクライマックスに驚嘆し、この先にいったいどんな展開が待っているのかを、誰もが期待させられる。

 一時は学園をほぼ支配しながら、どうして花邑しらゆきは、腕に怪我をして学校を休むようになり、同級生たちからも良からぬ存在と思われるようになったのか。お嬢さま学校に通っている割には、どうして花邑しらゆきと花邑べにおは、メンチカツを使った肉じゃがを作り、豆腐にいろいろ混ぜ合わせてつくるチーズケーキを食べる、貧乏くささに溢れた食生活を送っているのか。語られていない謎はまだ多い。

 何より冒頭で示される、花邑べにおが関東全域の2000人の女学院生から「お姉さま」と呼ばれる男子となる結末へと、至るまでの展開が気になる。敵はまだ多く、そして強い。そんな敵を相手に、花邑べにおはこれからいったい、どんな剣を振るうのか。その効果は。最初に立ちふさがった少女が敗北者として味わった苦衷を見るに付け、恐ろしくも凄まじい戦いが繰り広げられそう。期待して待つより他にない。

 定金伸治の「制覇するフィロソフィア」があり、宮沢周の「アンシーズ」があったりと、学園を舞台に性差を惑乱させられるキャラクターたちによる戦いの物語に、見るべき物の多いレーベルでもある集英社スーパーダッシュ文庫。その戦列に新たに加わって、そして既存のさまざまなフォーマットをなし崩しにしてしまうパワーを持った作品「百合×薔薇」の登場を、今はひたすらに喜びたい。


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