逢摩時雄の奇妙な事件簿
怪奇・夢の城ホテル


 「そのうちなんとかなるだろう」と並んで、20世紀を代表する偉大な言葉にして人間の永遠なる真理ともいえる言葉に、「わかっちゃいるけどやめるれない」というものがあって、それは例えばギャンブルとか女遊びとかにも適用できるけど、ここではテレビの「心霊番組」について当てはめて考えたい。

 テレビで「恐怖! 心霊写真のすべて」とか「出現! 廃ホテルに幽霊が」なんて番組がやっていたら、人間だったらどうにも見ないではいられない。内容についてはだいだい予想がついて、心霊写真物だったら写真がもたらした祟りの様子とかが再現フィルムで流れたり、写っている幽霊の実在が確認されたりするんだろう。恐怖スポット探訪物だったら、怖い場所に行って怖いことが起こってスタッフが逃げまどうんだろう。まあワンパターン。なのにこれが不思議なことに、ついついチャンネルを合わせて、ついつい最後まで見てしまう。

 見れば怖い気持になるのはわかっていて、夜中なんかにトイレにいけなくなったりする可能性も十分認識している。にもかかわらずやっぱり見てしまう心境は、まさしく「わかっちゃいるけどやめられない」。つまるところ人間という生き物は、自分の理解できない怖いこと、不思議なことが好きなんだろう。テレビの中には山ほどあっても、現実には出会うことのない、でもってたぶんこれからも出会うことのない心霊現象に憧れて、せめてテレビの中でだけでも怖い思いをしたいんだろう。

 流れから言えば川辺敦の「怪奇・夢の城ホテル」(早川書房、620円)も、どこか既視感な恐さを改めて体験させてくれる小説だったりする。物語の展開は見事なまでにワイドショーの「幽霊ホテル探訪」番組を題材にした怪談話のパターンにハマりこんでいて、そのまま映像化しても全然おかしくないくらい。どんな展開になってどんな結末になるのかも読んでいるうちにおおよそ予想が付いてくる。

 主人公でテレビなどの構成作家として生計を立てている山井彰は、かつて世話になったディレクターから心霊番組を手伝ってくれと依頼される。幾つか題材を出すうちに、火事で死者を出した後経営が傾き、最後には支配人が地下室で自殺してしまったため廃棄されたホテルに謎めいた存在が出現する話へと行き当たる。不吉な予感を覚えた山井は、仕事の途中で知り合ったサイキック・ハンターの逢摩時雄に助言を仰ぎ、ロケ地へも動向を願う。そしてやって来た廃ホテルで、クルーたちは驚天動地の出来事に遭遇し、命すらも危険な状況にさらされる。

 ワイドショーのスタッフが取材に行った幽霊ホテルでとんでもない目に遭う展開にしても、心霊写真にラップ音にエクトプラズムに結界といったアイティムにしても、傍若無人なディレクターに商売第一な霊能力者に冷静沈着なサイキック・ハンターといったキャラクターにしても、それ自体からはそれほどの意外性は感じられない。過去に幾らでも類例のある物語をリミックスしたような話だも言える。なのにやっぱり読んでしまう。そして怖がってしまう。文字通り「わかっちゃいるけどやめらない」のである。

 例えば親子とか離別とかを絡めた人情物語が、いくら同じパターンの繰り返しであっても読む人の涙を誘って仕方がないように、パターンにハマっているからこそ準備段階から気持ちを高めていざという時に恐さを爆発させられるものらしい。「怪奇・夢の城ホテル」もそういった感じで積み重なっていく「恐怖」の積み木が、最後にガラガラと崩れ落ちる場面に立ち上る楽しさと表裏一体の恐さを味わうことができる。

 テレビのクルーが怪談番組の撮影へと向かって行かざるを得ない「会社の事情」をリアルに描いている点や、そんなクルーが現場で遭遇する怪奇現象の描写といい、登場人物のサイキック・ハンター逢摩時雄が繰り出す心霊現象への対処方法の確かさとかから、本書が書かれたいきさつについては知らないものの、もしかするとリミックスどころかノンフィクションなのかもと思えてくる。

 ただ、いくらパターンを踏襲しているといっても、次に何が来そうか予想がついても、物語の中からわき上がって来る「恐さ」はやっぱり格別で、逢摩時雄を筆頭にその師匠にあたる”本物”の霊能力者やテレビ業界に蠢く魑魅魍魎たちの、しっかりと立てられたキャラクター造形も含めて、著者には物語を読ませる力があるのだということは分かる。次の展開があるのかどーかも不明だけど、可能性があるなら今度は時雄ですら悩むような難事件を繰り出して、よりいっそうの「恐さ」の快楽に読む人を溺れさせてやって頂きたい。


積ん読パラダイスへ戻る