吉原百菓ひとくちの夢

 「吉原パティシエ」というタイトルで刊行されていたら、新しいお店ものが登場したといった関心から、文字通りにスイーツがテーマの小説を求めている人たちに届いたかもしれないけれど、それで内容の一部は言い表せても、すべてを言い表してはいないから、そうはならなくて正解だっただろう。

 そもそもがパティシエという洋風の職業が吉原、すなわち江戸時代の遊郭にあったはずもないから、タイトルに使えば虚偽になってしまう。それでもある種、そうした要素も持った作品だということを、江中みのりによる第24回電撃小説大賞メディアワークス文庫賞受賞作「吉原百菓ひとくちの夢」(アスキー・メディアワークス、610円)に関して添えておく。

 美角屋という吉原にある仲見世にいた花魁と、通っていた商人の子として生まれたのが主人公の太佑という青年。その出自から商家の跡取りとして引き取られることはなく、かといって捨て置かれもしないで父親の紹介で上方へど出向き、菓子職人としての修行をしてから戻って生まれ育った美角屋で、吉原には珍しい菓子専門の料理人として働くことになった

 吉原にあって凝った料理を出すことで知られた美角屋に、新たな名物が加わった形。その腕を買って客も多く訪れるようになり、応えて太佑も腕によりをかけ工夫を凝らしてさまざまな菓子を作っては座敷に出していた。例えばカスティラ。室町時代にポルトガルから伝わり日本で発展した菓子で、今も銘菓として重用されている長崎の福砂屋が1624年に創業したくらい、日本では古くから食べてられている。

 それを江戸の遊郭で作って出すから面白がられる。ほかにも花林糖や牡丹餅やきんつばなどもこしらえて出しては、いずれも美味いと言わせる腕の持ち主だった太佑。ところが、 幼いころから美角屋で一緒に育った花魁の朝露だけは、太佑の菓子が出されても手をつけようとはしなかった。

 昔は違った。口減らしのために売られて吉原に来たころは、禿として働きながらしっかりと菓子を食べていた。それが今は食べてくれない。そこで本人に理由を問いただすことは菓子職人として負けだと思ったか、太佑はいつか食べてくれるだろう時を待ち、食べたいと思ってもらえるような菓子を作ろうとして日々、菓子を作ることにしていた、そんなある日。

 朝露のもとに通い始めた若旦那からなぜか挑まれ、彼を驚かせる菓子を作ることになった。ここでも工夫をこらし、なおかつ妾の子という若旦那が置かれた境遇へのメッセージも込めた菓子を作って出して若旦那に気に入られる。甘党の相撲取りが朝霧のように菓子を食べなくなった時は、その理由を聞き出して食べるべきだと説得する。

 朝霧の下についている禿のひとりが夏バテから何も食べられなくなった時は、水くらいなら飲めるその娘がもっと飲みたい、そして口に入れたいと思う種類の菓子を作って食べさせる。いや、それは菓子ではないと主張したからこそ朝霧も一口だけはすすって、騙されたと感じたものの菓子ではないならと納得した。

 つまりは朝霧は、肉体的精神的な問題から菓子を食べられない訳ではなく、自ら菓子を食べようとはしていなかったということ。その理由は? 楽しげで華やかに見えても世間からは苦界とみなされた吉原に生きるものたちが背負う、ある種の原罪のようなものがそこから浮かび上がってくる。

 太佑が働く美角屋の番頭が、吉原の外で出会った女性に惚れ、告白したいから手土産を作って欲しいと太佑に頼み、それならとカスティラと飴細工を作って持たせたもののうまくいかなかった状況が、吉原という場所への世間の見方を現している。快楽を求める人がいるから売るだけであっても、建前はやはりカタギの社会からは遠く離れた世界。だからこそ太佑も大店の跡取りにはなれなかった。

 そうは簡単に幸せにはなれないし、なってもいけない境遇にあることを朝霧も感じていたようで、だからこそ菓子という夢が形になったような食べ物を拒絶した。そんな心情が漂って、男どもを手玉にとって平然としているようでも花魁という女性たちに染みついた、苦しみのようなものを感じさせられる。

 だからやはり菓子は食べてはいけないのか。違う、決して違うと思いそう訴えていく太佑の姿に、身分とか差別といったものを気にせず自分が思うように生きていく大切さを思い知らされる。差別とか気にせず自分を卑下しないで堂々と生きていく。そんな気持ちを甘い菓子が後押ししてくれるストーリー。読めば自分も菓子を食べ、甘くない世界を楽しく軽やかに生きていきたいと思えてくるはずだ。

 次にどんな菓子が出てくるのだろうか。それはどうやって作られるのだろうか。江戸時代だから材料も限られる中、歴史よりも早く作られる菓子が人情をほぐして心を温めるエピソードをこれからも読んでいきたい。アイスクリームは、チョコレートは、キャラメルは登場する可能性はあるのか。ビスケットは。キャンディーは。続きを待ちたい。


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