宵山万華鏡

 仲間たちで学校に寝泊まりして、明日から始まる学園祭の準備に必死になって取り組む大変だけれど楽しい時間が、永遠に続いて欲しいと願ったことがあるだろうか。プールに盆踊りに花火に昆虫採集と、夏にしかできないことにみんなで取り組んだ夏休みが終わってしまう寂しさに、しんみりとしたことがあるだろうか。

 日常とはちょっと違った時間が持っている楽しさが、学園祭や夏休みのような非日常の時間にはあって、心を思いきり開放してくれる。ずっとこのままでいたい。そんな強い思いが、学園祭の前日や夏休みを、エンドレスに続けさせてしまう“事件”を引き起こす物語もあるくらい、非日常の時間が醸し出す空気には、人を酔わせて惑わせる力がある。

 お祭りは、そんな人を引きつけて止まない非日常の時間の最たるもの。にぎやかで楽しくて面白くて、そのまま永遠に祭りの時間に留まっていたくなる。けれどもご用心。祭りという儀式が本来的に持っているのは、この世界と異界とを繋げる役割だ。心をしっかり保っていないと、そのまま祭りに引っ張り込まれて、永遠に戻ってこられなくなる。

 森見登美彦の「宵山万華鏡」(集英社、1300円)に描かれるのも、京都の祇園祭という、千年をこえる歴史を持った祭りに絡んで起こる不思議な出来事だ。

 森見といえば、狸の一家が団結して家族の危機にぶち当たる「有頂天家族」(幻冬舎)や、骨董店を舞台に奇怪な話がつづられる「きつねのはなし』」新潮社)と、京都ならではのどこか異界とつながっていそうな雰囲気を、ファンタジーに描いてきた作家。「宵山万華鏡」では日本三大祭りに数えられる祇園祭にあって、祇園宵山という、異界との繋がりがピークを迎える時間に起こる奇怪な出来事が、次々に繰り出されて読む人をおおいに惑わせる。

 まず「宵山姉妹」。バレエ教室に通う小学四年生と三年生の姉妹が、何10万人も観客が集まるという祇園宵山の中で離ればなれになってしまう。姉とはぐれてしまった妹は、恐ろしい表情をした大坊主とすれ違い、金魚のように赤い着物をひらひらとさせた女の子たちに出会い、彼女たちに夕空に引っ張り上げられれようとしていたところを、探しに来た姉にしがみつかれて引き止められる。

 ちょっぴりホラー風味。にぎやかな祭りに紛れて妖怪変化が異界からはい出てきて、人をかどわかそうとする怪談の雰囲気が立ちのぼる。ところが、続く「宵山金魚」では藤田という青年が、高校のころからの知り合いで、京都の大学に進みそのまま骨董屋に就職した乙川にイタズラをしかけられ、祇園祭のまっただ中にしつらえられたにせ物の祭にひっぱり込まれ、驚かされる話になる。

 この現代に不思議なことなんてなにもない。すべては人間のおこなう仕業。「宵山劇場」では、藤田が引っかけられた偽の祭りを裏方から支えた面々の奮闘記が描かれて、大勢がともに汗を流しながら、なにかに一所懸命になる青春の素晴らしさというものを強く思わされる。その矢先。

 祇園祭のなかで女の子がひとり、消えてしまったエピソードが女の子の親や関わった人たちが、エンドレスに繰り返される宵山の日を生きている話が繰り出され、祭りはやっぱり祭りなのだ、単なるイベントではなく、現世と異世界とがつながり重なる非日常の時間なのだと気づかされる。

 お祭りも学園祭も夏休みも、確かににぎやかで楽しくて面白い。けれども、そうした非日常的な楽しさは、普通に平凡に生きている現実の暮らしがあるからこそ感じること。エンドレスに浸っていたいと願い、もしもかなってしまったとして、それで本当に幸せが得られるのだろうか?

 従姉妹を祇園祭の中に失ってしまった女性は、15年もの間、ずっと後悔の気持ちを抱えて生きている。赤い着物の女の子たちについていってしまったら、妹は姉に従姉妹を失った女性と同じ気持ちを抱かせ悲しませることになる。永遠に。

 始まりがあって終わりがあるから、祭りは心を躍らせ引きつける。日常ではないのだということを噛みしめ、瞬間の非日常をめいっぱいに楽しむことが大切だ。そうしないと祭りは、裏側に隠している牙をむいて襲いかかってくる。本当の宵山様にお灸をすえられるからご用心、ご用心。

 とはいえ祭りは、やはりとても楽しそうに見える。とりわけ森見の筆にかかると、現実の祇園祭が持つ幻想性に輪をかけて、不思議な雰囲気が立ちのぼる。

 バレエ教室に通う姉妹が見たという、巨大で丸々とした金魚。その名も「超金魚」から思い浮かぶビジュアルは、宮崎駿監督の長編アニメーション映画「崖の上のポニョ」に出てきたポニョだ。あれが動き回っている世界は、いったいどんな風に見えるだろう? 駒形提灯の下に信楽焼の狸と招き猫が交互にズラリと並んだ通路を歩くと、どんな気分がわいてくるだろう?

 確実に過ぎていく現実を生きさせようとする物語でありながら、読むほどに祭りの不思議さに惑わされ、引きずり込まれそうにもなる「宵山万華鏡」という物語。どうするかは読む人の気持ち次第。エンドレスの非日常と育っていける日常。あなたらなどちらを選ぶ?


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